年が明け、いよいよ平成が終わる。
次の次の改元を迎える頃、自分はこの世にいるのかなあ。
すると、これ以上ないというタイミングで、家人が一冊の本を差し出した。
「人間の死に方」 久坂部羊 幻冬舎新書
これ、実はとても笑える本だ。
主人公は、87歳で亡くなった著者の父親。この人、自分は医者のくせに、根っからの医療否定主義者なのである。
30代で糖尿病になったが、まったく治療しない。まんじゅうやケーキは食べ放題、タバコも1日20本吸った。
後年、その合併症が出た。足指が壊死して、真っ黒に変色した。
この段階まで進むと、足首の切断しか治療法がない。
それでも彼は病院に行かない。自らインシュリンを打って済ませてしまう。
85歳で前立腺がんと診断されると「しめた!これで長生きせんですむ」。今度も治療や検査をいっさい拒否して、医師と大ゲンカになる。そして言う。
「医者は黙って、患者の言うことを聞いとったらええねん」
著者もまた、医師だ。でも何もいわずに、父親を見守る。在宅医療で多くの高齢者を診て、長生きがいいことばかりでない、と知っているから。
足腰が弱って好きなところに行けない。視力の低下で本が読めない。耳が遠くて音楽も聴けず、味覚の低下でおいしいものもわからない。おしめをつけられ、自力では風呂にも入れず、何の楽しみもなく周りの世話になるだけ。
著者が在宅で診ていた95歳の女性が、しみじみ言ったという。
「先生。私は若いころ、体操すると長生きできると聞いて、一生懸命やりましたが、あれが悪かったのでしょうか」
それにしても、がんを宣告されて「しめた!」と喜ぶ度量は、並ではない。
著者によれば、父は「酒は弱く、賭け事もせず、女道楽には無縁の朴念仁」だったが、ふだんから次のようなことを口にしていたという。
・少欲知足(足るを知れば心は満たされる)
・莫妄想(不安や心配は妄想だから、しなくてよい)
・無為自然(よけいなことはせず、自然に任せるのがよい)
彼が医学の常識を無視して自由奔放に生きたのは、そのために早死にしたり、悪くなってもあきらめるという強い覚悟があったからだ。
そしてその根底には、仏教や老荘思想があったらしい。
医療に頼りすぎず、自然に、穏やかに死ぬにはどうしたらいいか。余命が計算できる病気にかかり、最期は窓から山が見えるホスピスに入る。これが、今の私が考えるベストシナリオだ。さっそく貯金を始めよう。
痛いのはいやだから、モルヒネはたっぷり盛って欲しい。
できればマリファナも。
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