2018年10月27日

時間を飛び越える


 3年ほど前、障がい者の通院を支援するNPOに入れてもらった。

 暇を見ては、車いす用リフトが付いた車のハンドルを握る。

 その後もいっこうに忙しくならないので、毎日ハンドルを握っている。



 夏が終わるころ、久しぶりにNさんを乗せた。

「認知症が進んで大変だよ」 NPO仲間が敬遠する人だ。

 予約の時間に、アパートのチャイムを鳴らす。返事がない。

 もう1回鳴らす。

 ドアが開いた。不審そうな顔をしたNさんが、暗闇に立っている。

「○○会のミヤサカです。今日は病院に行く日ですよね?」

「・・・あっ! 待ってろ、すぐ行く」

 身支度に15分かかって、ようやく出発。病院は遅刻だ。

「春以来ですね。変わりないですか?」「これ以上変わりようがねーよ!」

 独り暮らしのNさんは、糖尿病の合併症で目が見えにくい。足も弱ってきた。毎週、輸血を受けるのは、別の重大な病気かも知れない。

 でも雨戸を閉め切ったアパートで、日がなタバコをくゆらせている。腹が減ると、買い溜めしたコンビニおにぎりに、お茶をかけて食べる。

 定期的にヘルパーの訪問も受けるが、本人曰く「おれが孤独死しないよう、ケアマネが勝手に仕組んだ」。

ケアマネさんに頼まれて、私が「ちゃんと薬飲みました?」と聞くと、「忘れた」。そもそも飲む気がない。病気を治さない自由を行使する。



「今日は病院の日ですよ」「・・・あっ!」

その後も、玄関先で同じやりとりが続いた。ひとつ、聞いてみた。

「ところでNさん。部屋に時計はありますか?」「・・・ない」「やっぱり」

 いつからか、時間や曜日の観念をも超越したようだ。



NPOに加わった3年間で、助手席に乗せた6人を見送った。送迎予約が入らなくなり、「○○さんは入院しました」と知らされる。しばらくして、訃報を聞く。

長生きする気がないNさんを乗せる日も、いつまで続くかわからない。彼の姿を心に刻み、いずれは自分も、Nさんの境地に至りたいと思う。



最近、眠れぬ夜にふるさとを思い出すという。Nさんは日本海の離れ小島で育った。少年時代、暗くなる頃あいを見て、よその庭に忍び込んだ。

「こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」
「・・・」


Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年10月20日

ビリギャルが来た


「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」

 塾講師(坪田信貴)が本に書き、有村架純の主演で映画化もされた。

 先日、その「ビリギャル」本人が、なんと家から自転車で10分の市民ホールに現れた。先生目線でない、当事者自身の話を聞くことができた。

 主人公「ビリギャル」こと小林さやかさん、30歳。会社勤めの後、フリーのウェディングプランナーに。社会人3年目に「ビリギャル」が出てから、講演依頼が殺到。いまは年100回の講演で、全国を飛びまわる日々だという。

「元ギャル」らしさの演出か、講演はタメ口混じり。隣のお姉さん風でいて、話術は巧み。実質70分の講演が、あっという間だった。

開口一番、「ビリギャル」の本当の主人公は、実は彼女が「あーちゃん」と呼ぶ彼女の母親だ、と言った。

・母は、ビリギャルの私、高校中退でヤンキーの弟、不登校の妹、きょうだい3人をいつでも肯定した。相づち・うなずき・繰り返し。家事を全て中断して、私の話を聞いてくれた

・中学時代、タバコで学校に呼び出されても叱られなかった。母はむしろ、「子どもを信じていることを見せる絶好のチャンス」と考えていたようだ

・母の望みは、「ワクワクすることを自分の力で見つけられる子になって欲しい」ということ

・私は自分のためだけにはがんばれない。1日15時間勉強できたのは、「あなたが笑顔でいてくれるだけで私は幸せ」と言って何も求めない母のため

・人間は感情の生きもの。心が揺さぶられないと、大きな努力はできない➡「好き」「ワクワク」がいちばんの原動力。ワクワクする目標を自分で設定するには、親子でどうでもいい会話をたくさんすること

・不登校だった妹は、私の姿を見て「もっとラクして東京の大学に行きたい」。自らニュージーランドの高校に進学し、帰国子女枠で上智大に合格した

・最近ニューヨークに行った。受験勉強で英語の偏差値を28から72にしたのに、英語が話せなかった。これが日本の教育の現実



 彼女が合格したのは慶大、それもSFC総合政策学部。主な受験科目は小論文で、暗記力より思考力が試される。当意即妙な彼女の講演からは、かなり小さい頃から、自分なりの考えを持って生きてきたことが伺えた。

 卒業後、彼女は北海道の高校に「押しかけインターン」に行った。先生でも生徒でも親でも子でもない立場から、学校を見た。生徒への影響力がとても大きい教師たちが、実は社会とつながっていないと感じた。

だから最近、彼女自ら「面白い大人と学生をつなぐ場」を作った。

 この積極性。慶大合格は、ビリギャルのその後の人生を、間違いなく大きく変えたといえる。

 会場を見渡すと、聴衆は40歳前後の子育て世代の女性が目立った。




2018年10月13日

職場のアメリカ人


 カブール市街を見下ろす丘に、インターコンチネンタル・ホテルがある。

 テロリストの乱入で多くの死傷者が出たが、当時はアフガニスタンでも安全なホテルとされていた。

 高級ホテルだったのは、昔の話。エレベーターは動かぬ箱と化し、客室清掃係(全員おじさん)はシーツも代えてくれない。ちょっとシワを伸ばしただけで、チップを要求された。

 汚れた窓を開けて、衛星電話を突き出す。インド洋上の人工衛星を経由して、写真を東京に送る。

ドアが開き、わがボスが入ってきた。

「おいミヤサカ! ついでにこれも送ってくれ」

 無造作に渡されたUSBメモリの中身は、本社宛の書類だった。ちょうど査定シーズンで、アジアに散らばる特派員への、ボスの評価が記されている。

そっと覗くと、私へは最大限の評価がされていた。

活躍した覚えはない。でも給料が上がるのはうれしい。年末のボーナスを楽しみに待った。でも本社の査定は、相も変わらず「中の中」。昇給もない。

他部から来ている人間には、余分な給料を払いたくないのだろう。でも、ありえないほどの評価をくれた当時のボスには、感謝している。



帰国後に中間管理職になり、今度は自分が部下を評価することになった。彼らの自己申告書を読むと、「私は全ての項目において平凡です」と書く人もいれば、全項目に「自分は上の上だ!」と書く人もいた。

「上の上だ!」の彼とは、わりと親しかった。「よくこんなこと書けるなあ」ある時、面と向かって言ってみた。彼によれば、自分で「中の中」と書くことは、それ以上の査定を得る可能性を失う自殺行為なのだそうだ。

 次から私も、その手でいこうか。でも自分で自分を「すべてにおいて上の上」だなんて、そんなアメリカ人みたいなこと・・・とてもできない。



 報道カメラマンは結果(写真)がすべて。査定に容赦はないが、わりと公平だ。でも現場を離れて中間管理職になると、得体の知れない別の要素が混じってくる。忙しいフリをする人が、得をしているように見える。とても疲れる。

「まぐれ」や「ブラック・スワン」を書いたN・タレブも、言っている。

「サラリーマンをやっていて、だから他人の判断に左右される立場だと、忙しいフリをしていたほうが、まぐれの飛び交う環境で出た結果を自分の手柄にしやすい」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」

 二度と人に雇われずに生涯を終えられれば、それが最高だ。


2018年10月6日

不死身のカメラマン


「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

 戦争末期、神風特攻隊パイロットだった佐々木友次氏は、「必ず死んで来い」と言われながら9回出撃し、そのたびに生還した。

 21歳の若者がなぜ、40代50代の上司の命令に背くことができたのか。劇作家の鴻上尚史が佐々木氏を病院に訪ね、「不死身の特攻兵」を書いた。

 特攻隊で死んでいったパイロットたちは「全員が志願だった」、と命令した側は言い張る。一方で命令された側の手記には「絶対に志願ではない、命令だった」と書かれている。

 鴻上はこれを、社長の命令によって社員が疲弊しているのに「全員が志願して働いている」というのと同じだという。命を消費するブラック企業の究極だと。

 この本は、ビジネスマンが「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じだ」と言って読み始め、次に女性たちが「PTAと似ている」と話題にした。



 自分にとっての大ピンチは、10年ほど前に訪れた。

「パキスタンのブット元首相、亡命先から凱旋帰国へ」

 その一報が入ったとき、私は運悪く?バンコクに駐在していた。パキスタンは自分の縄張りで、何度も出張している。イスラム過激派による自爆テロが頻発し、何が起きてもおかしくない不穏な空気を感じていた。

 ましてや、暗殺予告が出ている悲劇のヒロインだ。あまり近づきたくない。

 現地の特派員に連絡したら、こう言われた。

「ミヤサカさんにはパキスタン人の助手をつけますから、勝手にカラチ空港に行って下さい。ぼくはホテルでテレビ中継を見ながら原稿を書きます」

 よくそんなこと言えるなあ。決定的シャッターチャンスは、命と引き換えか。

ほぼ同じタイミングで、今度はイランで日本人大学生が誘拐された。私はイラン大使館に日参し、死に物狂いでビザの発給交渉をした。日本人学生以外の取材はしないという条件で、入国ビザが下りた。私は全速力でイランに向かった。

そしてブット元首相は帰国後の遊説中、爆弾テロに倒れた。近くにいた20人が、巻き添えで犠牲になった。



 階級社会の軍隊にいながら、佐々木氏が命令に背けたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったから、と鴻上は見ている。

 カメラマンだった私の場合、当時は写真セクションと国際報道セクションそれぞれに上司がいて、命令系統に空白があった。そこに個人の裁量で動ける余地が生まれて、あやうく命拾いした。

「不死身の特攻兵」は、主に日本社会の枠組みに苦しんでいる人、うっとうしいなと思っている人に読まれているという。「一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です」(鴻上)。

Tateshina Japan, Autumn 2018

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...