2018年2月24日

ハワイは楽園・・・?


 ある冬の日、出社するなり「ハワイへ行け」。現金100万円を渡された。

厚手のセーターとジャンパーという格好のまま、常夏の島へ。

着いてから数日は、ドアがない吹きさらしの2人乗りヘリコプターで荒波の太平洋を飛び回り、その後はアメリカ太平洋艦隊の軍事法廷に日参した。

結局1か月をハワイで過ごした。

漁業実習船「えひめ丸」が米潜水艦に衝突されて沈み、9人の命が失われたあの日から、17年ぶり2度目のハワイ。

出発前、ホノルル在住のayanoさんにえひめ丸慰霊碑の様子を聞く。

「慰霊碑のある公園は、ホームレス集団による器物損壊で閉鎖されました。先月再オープンしたようですが、大きい道を通って、身の回りに気をつけていらして下さい」

 ホノルルに着き、海沿いに5キロ先の慰霊碑を目指す。宿のすぐそば、ワイキキ中心部の路上にホームレスが座っている。海水浴客でにぎわうビーチ沿いの芝生にも、ホームレスが寝ている。

 アラモアナ公園では、大きなガジュマルの木陰にホームレス。

 そして慰霊碑のある海浜公園には、ホームレスのテント村ができていた。ほかに人気はなく、何か大声で叫んでいる半裸の男の前を駆け足で通過した。

 すぐ山側は再開発が進み、お洒落なカフェやレストラン、高級コンドミニアムが立ち並んでいる。通りを一本隔てただけで、雰囲気ががらりと変わる。

 近くのカフェでayanoさんに話を聞いた。少し前、当局が米本土のホームレスに片道切符を渡してハワイに送り込んだという。温暖な気候は確かに野外生活向きだが、果たしてこれは人道的措置なのか、単なる厄介払いか。

 そして彼らに感じた異様な雰囲気。多くが薬物中毒、アルコール中毒者らしい。

 ホームレスにはハワイ先住民も多い。行く先々で先住民を迫害しながら建国した、アメリカ史の負の側面。

 核実験のために南太平洋の島から避難させた人たちもまた、ハワイでホームレス化しているという。



 海が見えるホテルに泊まり、ショッピングに繰り出す各国の観光客。高層マンションでリタイア生活を送るアメリカの富裕層。ハネムーナーを乗せて走る白いストレッチリムジン。資本主義の果実とホームレスが同居する島。

3泊5日のパックツアーだったら、見たくないものは「見なかった」ことにできるかも知れない。海と空の青さ、吹き抜ける風の心地よさは、まさしくこの世の楽園だ。

海外で感じる貧富の格差は、たいてい日本以上に大きい。でも楽園的な要素が大きい分、この絶望的な所得格差と社会の歪みを「見なかったことにする」のはとても難しかった。


2018年2月18日

ビットコインを買ってみた。


 昨年1年間で20倍になったビットコインが、その3分の1まで急落した。

 そもそも仮想通貨って何? 私の理解では、

・仮想通貨そのものに本質的価値はない。欲しがる人が増えれば値上がりするし、誰も欲しがらなければその価値はゼロになる。今は単なる投機の対象になっている

・でもその基盤となるブロックチェーンは、金融の民主化につながる革命的な技術。世界中の個人と個人が最低限の手数料で価値を交換できる、夢の通貨になる可能性を秘めている

・仮想通貨の市場規模は現在50兆円程度。今後参加者が増えれば、瞬く間にドルやユーロ、円に代わる決済の主役になる(かも知れない)

ビットコイン、リップル、ネム、イーサリアムetc。どの仮想通貨が生き残るか、現時点ではわからない。数ある取引所のどこが信用できるかもわからない。

世の銀行家や投資家は、「仮想通貨は詐欺だ」「マルチ商法だ」と言う。

 それでも、世界を一変させる可能性を秘めていそう。悪いニュースもひと通り出尽くした気がする。未来の貨幣を、練習がてら買ってみた。

 取引所のひとつに運転免許証のコピーをpdfで送り、銀行口座その他の情報を登録すると、2日ほどで口座を作ることができた。すべてネット上で完結する。最悪パーになってもいい金額を送金して、準備完了。

 ビットコインを買う行為そのものは、数回のクリックで出来た。ネット証券で株を買ったり、FXで通貨を取引したりしたことがある人なら簡単だ。

あっという間に、0.12982BTCが買えた。あとは使ってみるだけ。

行きつけのスタバでビットコインを使えたとして、カフェラテ一杯は今のレートで0.000612BTC。最近は老眼気味なので、気をつけないと小数点の位置を間違えて、10倍多く払ってしまいそうだ。

また価格変動も激しい。私が買ったとたんに2割も値下がりした(涙)。ビットコインでBMWを買いに行き、店に入った時点では1台500万円でも、急に催してトイレに立った隙に700万円、カーナビをつけ忘れて契約書を書き換える間に900万円、ということが起こり得る。

でも私は、仮想通貨の将来に期待する。

たとえば今、ベトナム人留学生グエンさんのお母さんが入院したとする。彼はバイト代の1万円札を握りしめて銀行へ。日本の銀行、中継銀行、ベトナムの銀行に手数料を取られ、円→ドル→ドンと両替するたびに目減りして、故国のお母さんに届くのは・・・

3500円だ(大手M銀行の場合)。現行の金融機関は、ぼったくりすぎではないか?

やがて仮想通貨が国境を飛び越えて、グエンさんの1万円がそのままお母さんに届く未来を創る、と信じたい。


2018年2月10日

「だから、居場所が欲しかった」


「だから、居場所が欲しかった~バンコク、コールセンターで働く日本人」水谷竹秀著、集英社

 バンコクを舞台にしたノンフィクションを、スクムビットSoi16のアパートで読んだ。

 コールセンターで働く女性が「買春して現地男性の子を身ごもった」と告白する冒頭シーン。その舞台となった「ターミナル21」の灯りが、漆黒の窓外に見える。

 日本企業が経費節減のため、2004年からバンコクに設け始めたコールセンター。そこで働くオペレーターたちは30代半ば~40歳代。彼らの月給は約3万バーツ(10万円)だという。

 バンコクの安いアパートには、キッチンがついていない。タイ大戸屋の鮭塩焼き定食は310バーツ(1000円強)もする。屋台のタイ風炒飯やラーメンが、彼らの常食になる。

著者は「バンコクのコールセンターで働く人々は『海外ワーキングプア』だ」と指摘する。

 それでも、いま日本の地方都市で非正規労働者として働いても、月収15万円に満たない。さらに、日本で働く単身女性の3分の1が月収10万円以下という現実がある。

 物価水準の差を考えれば、「バンコクのコールセンターで働いた方が経済的にも精神的にも満たされる可能性が高い」。

 同感。

 さらに著者は「ビルやショッピングモールが次々と建設され、経済成長を続けるタイの首都バンコクと日本の地方都市の経済格差が狭まりつつある」と書く。私の感覚では、とっくに逆転している。

 日本の生きづらさは金銭面だけではない。取材中、著者はオペレーターに性的マイノリティーが多いことに気づく。

 日本で、同性愛者であることを家族に告白したある男性は、すぐ歯ブラシやコップを別の場所に移された。自分は女性として生きていきたい、とカミングアウトした別のオペレーターは、「もう田舎に帰ってこなくていいぞ」と父親に言われたという。

日本の男性同性愛者の自殺未遂は、異性愛者の5倍強。女性同性愛者は同2倍。彼らは言う。

「タイは昼間でも男同士が普通に手をつないで歩いている。誰も何も言わない」「タイが居心地いいのは、カトゥーイ(タイ語でニューハーフのこと)と言われてもある程度肯定されるから」「海外に出てきてからは心身ともに健康です」

 著者はエピローグにこう記している。

「心の優しい人間は、日本社会で生き続けるといつかは壊れてしまう。逆に壊れない方がおかしい。それほどまでに日本社会は病んでいるように私にも見える」

 取材した大半のオペレーターが、「もう日本に帰る気はない」と口にするという。

 この本を読んで、自分のタイ通いも彼ら同様、日本社会からの逃避なのだと改めて悟った。




2018年2月3日

大工さんが落ちてきた


 タイで会う予定のマツイさんに、羽田空港からメールを送る。

「明後日のランチ、タイ料理とビーガン料理とクレープ、何がいいですか?」

 すぐに返事がきた。

「もちろんミヤサカさんとお食事したいとは思っていますが・・・今回の件は本当に私ですか?」

タイに送ったつもりで、間違えて社会福祉協議会のマツイさんにメールを送っていた。しかも職場のアドレスに。

 社協のマツイさん、忙しいのにごめんなさい。穴があったら入りたい。



 その2日後、「バンコクの青山通り」ランスアン。白人客の多い一軒家レストランで、無事にタイ在住のマツイさんと会うことができた。

 彼女は勤めていた会社を辞めて、チェンマイのエイズ孤児施設でボランティアをしていた。その後、なんと施設近くに自分の家を建てて、暮らし始めた。

 最近、その家の屋根が外れて、盛大に雨が漏るようになった。地元の大工さんを呼ぶと、さっそく屋根に上がって修理を始めた。

 突然、何かが天井を突き破って落ちてきた。そして、部屋に置いてあった空のカメラバッグに着地した。大工さんだった。

「大丈夫そうでしたよ。鼻血が出てましたけど」

 マツイさんの本職はフォトグラファーである。カメラバッグに機材が入っていたら、大工さんも大事な商売道具も、タダでは済まなかった。そして何より、頭上に降ってこなくてよかった。

 お洒落なレストランはできても、やっぱりタイはタイ。予定調和が通じない国だ。この話を聞くだけでも、はるばる来た甲斐があった。

その後、屋根を分厚く改築したそうだ。

ボランティアを任期まで勤めた後、マツイさんはタイで写真の仕事を再開した。日本で13年働いて築いた人脈と、こちらで培った信用とで、仕事も軌道に乗りつつある。

最近、平日はバンコクに借りたアパートを拠点に働いて、週末はチェンマイの自宅で過ごす。毎週、バンコク~チェンマイ往復1400キロを飛行機で移動している。豪快なライフスタイルだ。

「こんなに働いて、何でお金が貯まらないんだろう・・・飛行機代のせいかな」と言って笑っていた。

チェンマイでは、日本語補習校で子どもたちを教えたり、畑で野菜を育てたりしているそうだ。

 海外で、フリーランスで生きる人に憧れる。マツイさんのこの突破力は、どこから来るんだろう? 北海道出身と聞いて、個人的には少し納得。いつも優柔不断で、何も決められない自分の対極にある人だと思った。


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...