晩夏の東京で、小学校の同窓会があった。
パリ日本人学校に6年通った間、机を並べた友だちの多くは数か月~数年後に親の転勤とともに去って行った。再び会うのは無理だと思っていた。
奇跡が起きたのはSNSの存在と、同姓同名の海から我々を発見してくれた級友マツモト君のおかげだ。
そして昨年、40数年ぶりに感激の再会を果たした。今回、男子は去年のメンバー、女子は新たにマツモト君に見出された人たちが集まった。
女子は、半世紀近くも前のことをよく覚えている。男子は、そんな昔のことは忘れて当然と思っている。スイスから参加したモリ君は、ニコニコ女子の話にうなずいているが、私同様、何も覚えていない。
「ほらボクの場合、すぐニューヨークに転校したから」
言い訳がうまい。
当時のあどけなさを残すマリちゃんに、声を掛けられた。
「エイシ君、私とつき合ってたのよ。覚えてる?」
なんと。マリちゃんと私は毎日パリの街角で待ち合わせ、近所のスーパーでデートしていたという。
幼いふたりの甘美な時間。異国に芽生えた小さな恋。
でも全然覚えていない。
よく聞いてみると、マリちゃんと私はお互いを「エンピツ」「デブ」と呼び合い、デート中はほぼ無言だったという。
あまりロマンチックでない。そもそも、これをデートと呼べるのか?
2人ともジャスマンという同じメトロの駅から通学していた。その割に、仲良く手をつないで小学校に通った記憶もない。
それもそのはず、私は薄汚れたジプシーの子らと一緒に2等車に乗り、彼女は毎日、赤い車両のプルミエール・クラス(1等車)で通っていたというのだ。
哲学者の中島義道は、人生を「勝手に生まれさせられて、もうじき死ななければならない残酷な時間」と定義する。そう、人生は残酷だ。初めての恋を身分の壁に阻まれた私は、記憶を消してしまったようだ。
会もお開きという頃、マリちゃんに聞いた。
「最近なにやってるの?」
「本を読んだり、空想したり」
マリちゃん変わってない。セピア色の記憶に、少し色がついた。
東京駅の雑踏でみんなと別れる。
À bientôt!(またね!)
とんでもなく埃っぽくて時に小便臭い、パリのメトロの風が。
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