2017年9月30日

イチローは理想の上司?


 日経ビジネスオンラインで、働き方に関するライフネット生命創業者・出口治明氏のインタビューを読んだ。とても共感できる内容で、会社で働いていた頃を思い出した。

「上に立つ人間は、元気で明るく楽しい顔をしていなければなりません」「上司が元気で明るく楽しそうにしていれば、職場は楽しくなるんですよ。楽しくなれば、みんながんばるんです」「暗い顔や怖い顔をしている上司は、どんどんクビにして行けばいいんです」

 私が25年のサラリーマン生活で仕えた10人の部長は、みな怖い顔をしていた。局長や社長や会長がとびきり怖い顔をした人たちなので、「上司は怖くあるべき」という刷り込みがあったのかも知れない。

 プレッシャーがきつい立場に同情はする。だが、「部下の能力を発揮させて成果を上げる」という彼ら本来の役割からいえば、逆効果だった。ミスを恐れて縮こまるムードが、職場に蔓延した。

「プレーヤーとマネージャーは違います。例えば高校野球で言いますと、昔はエース4番がキャプテンも兼ねていたんです。でも今は、補欠でもキャプテンをやっている選手がいっぱいいます」「みんなをまとめるのがうまい人がキャプテンをやる方がいい。マネージャーは150キロの球を投げなくても、ホームランを打たなくてもいいんです」「そもそも、プレーヤーからマネージャーにするという考え方自体が間違っています。役職は偉さでなく、機能と考えなければ」

 前の会社では、部長席にはふかふかのクッションと高い背もたれ、立派な肘掛けがついていた。そういう会社側の仕掛けが、部長たちを「役職は機能ではなく偉さである」と勘違いさせていたかも知れない。

「マネージャーとして大切なのは、部下の話をよく聞かなければならないということです」「そういう話を講演会でした時、手を挙げた人が「私もそう思ってこの10年来、ほぼ毎日飲みニケーションをやっています」と言ったんです」「すごく申し訳なかったんですけど、僕は「あなたは今すぐ管理職を辞めるべきです」と言ったんです。部下が教義によって飲酒が禁じられているイスラム教徒だったり、お酒が飲めない体質の人だったらどうするのか。グローバル企業だったら絶対に許されないことです」「そもそも、コミュニケーションは退社後ではなく、勤務時間内にやるべきです」

 我が部長たちは、就任すると必ず部下を飲みに連れ出した。「年間360日、夜は家に帰らない」ことが自慢の人もいた。私はなぜか、1度も誘われなかった。「絶対に行きたくない」という気持ちが、つい顔に出てしまったか。

 恒例の「理想の上司ランキング」で、今年もイチローが1位だった。稀代の名選手も、マネジメントができるかどうかは別の話。個人的には、出口氏のような人が理想の上司だ。


2017年9月23日

3GBの宇宙


「ロケットマン」がミサイルを発射した朝も、信州にいた。

 標高1500メートルの森を散歩していたら、下から町内放送が聞こえてきた。「北朝鮮・・・ミサイル・・・」

 いま避難しろと言われても、点在する山荘の軒先を借りるくらいだ。

構わず歩き続けた。

 数日前の朝もミサイルが放たれた。森の家のダイニングで妻のケータイが鳴る。目覚ましのアラーム音?起きてきた妻がケータイを開き、1時間後にJアラートだったと知る。

なぜ自分のケータイは鳴らない。不公平に思っていたら機内モードだった。鳴らないはずだ。

でもJアラートが有効なのは、国民全員分の核シェルターがある時だけ。下手に都会で鳴ればパニックだ。対処できない警報をもらっても仕方ないから、ケータイは機内モードにしておこう。どうせ電話かかってこないし。

この夏もテレビ・ラジオなしで暮らした。情報源は、ひと月3GBでデータ契約したタブレットと、毎朝届く新聞のみ。

 3GBでフェイスブックを開いたりグーグル検索したりブログをアップしたりしたら、半月でなくなった。その後は数日おきに、歩いて森のwi-fiエリアに通っていた。特に支障はなかった。

 秋になって街に下り、今はふたたびwi-fiつなぎ放題。テレビもあって便利は便利。でも、いささか情報過多。情報に振り回される自分がいる。

私が最低限の生活費を得ている「パッシブ運用による国際分散投資」では、日々の株価変動は、本質的価値とは何の関係もない単なる雑音だ。でもテレビをつけると、定時のニュースで株価や為替が速報される。

つい見てしまう。そして、無駄に心が揺らぐ。

タブレットのトップ画面をニュースサイトに設定している。でも日々報じられる政治家の発言、外国の選挙、地震など、ほとんど自分でコントロールできない点では雑音のようなもの。北朝鮮のミサイル発射も、雑音。

雑音を聞くために日々を過ごしている。

SNSは、常にネットにつながれた環境では、友人知人との距離が密になりすぎる。たまに覗くぐらいがちょうどいい。

この春、深夜に着いた中国の空港。やっとネットにつながったのに、グーグルやフェイスブックが開けない。検索ができなければもメールも読めない。あの時は心細かった。当局がブロックしているのだ。



自らを情報社会から遠ざけたいが、それを政府が勝手に行う社会は怖い。

「テレビがない森の中+ネット3GB」「人の会話が理解できない外国+政府が干渉しないネット環境」。こういう場所に身を置きたい。


2017年9月16日

カルーアミルク


 湖畔のポカラ食堂に団体予約が入り、ふたたび手伝いに行った。

 アカシアが黄金に色づき、店には暖房が入っている。

「いらっしゃいませ!」現れたのは、今夜も台湾の学生さんたちだ。

ひとりが「〇▲×ミルク、クダサイ」と言った。ミルク?酒やジュースならあるが、牛乳は。断る前に、念のためメニューを確認した。

カクテルのページに「カルーアミルク」とある。

 店主のタイキさんに注文を伝える。彼の手元を見ていると、コーヒーリキュールを冷たい牛乳で割っている。この世にこんな飲みものがあったとは。

 男子が頼んだカルーアミルクを、女子たちが味見。そして、「カルーアミルク下さい」「カルーアミルク」「私も」

 あっという間に10杯売れた。思わぬ展開にタイキさんも笑顔。前回は女子がジュースしか飲まず、赤字だったのだ。

うっかり「牛乳はない」と断らなくてよかった。

宴もたけなわ、みんな楽しそう。私が学生の頃は「イッキ飲み」最盛期で、先輩に酒を強要された。いまだにアルコールが苦手で、旅行でイスラム教国に行くとホッとする。物理的に酒がない世界は気持ちいい。

社会人になり、パキスタンに出張した。治安が悪いため、現地支局長のSさんは、妻と小さな娘を残して単身赴任していた。鉄格子で囲まれた支局に籠城しながら原稿を書く姿には、鬼気迫るものがあった。

 そして彼は、アフガニスタンにも毎月のように入っていた。かの地は、さらに治安が悪い。見上げた記者魂だと思った。

 ある時、アフガン取材に同行した。出発前から、妙に彼の表情が明るい。「いや、アフガンはパキスタンより酒が手に入りやすいんです」。

女性がブルカで顔を隠すアフガン。イスラムの戒律がとても厳しい国だ。そんな国でも酒の在り方を探り当ててしまう、鋭い酒飲みの嗅覚。

 アフガンに着いたSさん喜々として、外国人が飲んだくれているレストランに出かけていく。私もついて行ったが、いかにもイスラム過激派の標的になりそうな場所だ。

 と、思っていたら案の定。後日、そのレストランに自爆テロ犯が突っ込み、多くの死傷者が出た。

 そこまで危険を冒して・・・

見上げた酒飲み魂だ。

 大学を出てかなりたち、子どものような世代の学生たちと酒席を共にした。酒を勧められた彼ら彼女らは、「私は未成年ですから」。堂々とジュースを注文していた。

いい時代になった。

霧の白樺湖


2017年9月9日

クライマー村の人々


 八ヶ岳の麓に、山登りが好きで都会から移り住んだ人たちのコミュニティーがある。

 我が森の家から、村をひとつ挟んだ隣町。車で1時間ほどの近さだ。

ソバの花とコスモスが競演する秋の日、コミュニティーで暮らす夫婦に会うことができた。近くの古民家カフェで話を聞いた。

 最近結婚した2人は、ともに30代。夫はこの夏、友人とヒマラヤへ行き、40日かけて6000メートル峰の垂直な岩壁を初登攀した。

 帰国後すぐ、国が主催する登山研修の講師として北アルプス剣岳へ。テレビ局から依頼を受けて、国内外の険しい山で撮影をこなすこともあるという。

妻は旅行会社勤務の後、フリーのツアーコンダクターに。この夏はお客さんを連れて、コーカサスやドロミテ、カムチャツカの山を案内した。

八ヶ岳山麓の自宅に戻れば、野菜作りに精を出す。今年はトマトが食べきれないほど採れた。

そして、来月は夫婦でヨセミテへ。岩壁の下にテントを張り、クライミング三昧の日々を送る予定だ。

好きな山に住み、好きな山登りで収入を得て、好きな時を休日にして山に登る。ふたりは、そんな暮らしを実現させている。

もちろん病気やケガに見舞われれば、収入がなくなる厳しさはある。その時は一方が生計を担うのだろう。コミュニティー内でも、お互い仕事を融通し合っている。山岳ガイドで生計を立てている仲間が多い。

不安定なようで、あんがい安定して見える。

小さな仕事をつないで暮らすのは、地方ではそれほど難しくない。私も最近わかってきた。東京で暮らしていた頃は想像もできなかったが、こちらで人とつながっていると、口コミで仕事が降ってくる。

都会のサラリーマンが収入をひとつの組織に依存するのと、どちらが安定しているか。一概には言えないと思う。

あるいは、賃金の高い東京で「自分の意思で」長時間労働する時期と、地方で家庭生活を大事にする時期を選べれば、なおいい。

物質的なぜいたくの代わりに、水や空気、食べものの新鮮さ、時間的なゆとりを優先する。そんな価値観を持つ人には、彼らの生き方が参考になる。

ふたりの友人はこの秋、小学生のわが子を人に預けて、海外の山登りに発つ。好きなことを優先する親を見て、子はどう思うだろう。

一時は寂しい思いをしても、「子どものために」我慢して長時間労働する、ストレスだらけの親の元にいるよりは幸せなはずだ。


「この国には何でもあるが、希望だけがない」(作家の村上龍)

もっと大人が好きなことを大切にして、笑顔になる。その笑顔を子どもに見せることが、この国の希望を作っていくことなのだと思う。


2017年9月2日

メトロの風


 晩夏の東京で、小学校の同窓会があった。

 パリ日本人学校に6年通った間、机を並べた友だちの多くは数か月~数年後に親の転勤とともに去って行った。再び会うのは無理だと思っていた。

 奇跡が起きたのはSNSの存在と、同姓同名の海から我々を発見してくれた級友マツモト君のおかげだ。

 そして昨年、40数年ぶりに感激の再会を果たした。今回、男子は去年のメンバー、女子は新たにマツモト君に見出された人たちが集まった。

 女子は、半世紀近くも前のことをよく覚えている。男子は、そんな昔のことは忘れて当然と思っている。スイスから参加したモリ君は、ニコニコ女子の話にうなずいているが、私同様、何も覚えていない。

「ほらボクの場合、すぐニューヨークに転校したから」

 言い訳がうまい。

 当時のあどけなさを残すマリちゃんに、声を掛けられた。

「エイシ君、私とつき合ってたのよ。覚えてる?」

 なんと。マリちゃんと私は毎日パリの街角で待ち合わせ、近所のスーパーでデートしていたという。

 幼いふたりの甘美な時間。異国に芽生えた小さな恋。

でも全然覚えていない。

 よく聞いてみると、マリちゃんと私はお互いを「エンピツ」「デブ」と呼び合い、デート中はほぼ無言だったという。

 あまりロマンチックでない。そもそも、これをデートと呼べるのか?

 2人ともジャスマンという同じメトロの駅から通学していた。その割に、仲良く手をつないで小学校に通った記憶もない。

 それもそのはず、私は薄汚れたジプシーの子らと一緒に2等車に乗り、彼女は毎日、赤い車両のプルミエール・クラス(1等車)で通っていたというのだ。

 哲学者の中島義道は、人生を「勝手に生まれさせられて、もうじき死ななければならない残酷な時間」と定義する。そう、人生は残酷だ。初めての恋を身分の壁に阻まれた私は、記憶を消してしまったようだ。

 会もお開きという頃、マリちゃんに聞いた。

「最近なにやってるの?」

「本を読んだり、空想したり」

 マリちゃん変わってない。セピア色の記憶に、少し色がついた。

 東京駅の雑踏でみんなと別れる。

À bientôt!(またね!)

 誰かが言った瞬間、一陣の風が吹き抜けた。

とんでもなく埃っぽくて時に小便臭い、パリのメトロの風が。



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...