2017年3月25日

続・雨の成都


 ネパールの帰りも、ヒマラヤを越えて中国四川省・成都に寄った。

 成田便まで待ち時間がある。暇つぶしに、空港から市バスに乗って成都の繁華街へ。料金は10元(160円)。

 乗りものの窓から、流れる景色をぼんやり眺める至福のひと時。

 できれば一生そうしていたい。

 9年ぶりの成都だが、バスが市街地に差し掛かっても、ビルが立ち並ぶ風景に見覚えがない。

 近年の成都はIT企業が集積し、米フォーブス誌が「今後10年で最も発展する都市ランキング」の世界1位に選ぶ。9年あれば経済規模が倍増するほどの高成長で、すっかり別の街になってしまった。

 ちょうど昼時で、道に人があふれている。そのエネルギッシュな様子、まず日本ではお目にかかれない。



 9年前、死者9万人を数えた四川大地震の取材拠点として、この街に2週間滞在した。毎日夜明け前に起きて、被災地域に通った。

 それまで新潟県中越地震、スマトラ沖地震、パキスタン北部地震などを取材し、現場慣れしているつもりだった。それでも、ここは地獄だった。

 成都から徒歩10時間でたどり着いた震源地。4階建ての小学校が倒壊し、児童数百人が生き埋めになっていた。私が着いた時は捜索活動も一段落し、毛布にくるまれた遺体が道端に並んでいた。

 毛布の端から、かわいい小さな手足が見える。

 日本の新聞では、遺体写真は使わない。逃げるようにその場を去った。

 取材中に日が暮れて、夜は被災者のテントの入り口で寝た。ふと目覚めると、テントの前を子どもの集団が、音もなく通過していく。そのただならぬ雰囲気に、カメラを向けるのも忘れて目で追った。

 誰もが無言。泣きはらした目。朝もやの中で肩を寄せ合い、夢遊病者のように去っていく。

 地震で両親と家を失い、故郷を離れて疎開していく孤児たちだった。

 あんなにも、体全体に絶望を宿した人の姿を、生まれて初めて見た。

 その1週間後、何でもない場面で、涙が止まらなくなった。
 
 そして9年たった今なお、当時の感情にフタをしている自分がいる。



 バスの終点で降り、1ブロック歩いてみた。そこにはグッチやエルメスなど高級ブランドが並ぶ、ありふれた大都会の顔があった。

 地元の人でにぎわう食堂で食べた、一皿10元の麻婆豆腐が絶品だった。






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