2017年3月31日

雪のランタン谷で


母校の山岳部員とヒマラヤへ。

昨年はアンナプルナ山群。今年はランタン谷を歩いた。

 部員には女子もいる。日ごろから心身を鍛え、合宿で雪山や岩壁に挑む。普通の大学生とは、モノが違うと感じる。

 上級生は、遭難事故を経験している

3年前、吹雪の北アルプス。リーダー格のメンバーを目の前で失った彼らは、着のみ着のまま氷点下の一夜を耐え抜き、ヘリコプターで救出された。

 病院に下ろされた時は低体温症のため、自分で歩けなかったという。問わず語りに語られる話からは、間一髪の生還だったことが伺えた。

 ヒマラヤで目撃した、彼らハタチの食欲はすさまじい。お腹が空くと殺気立ってくる。怒ったようにダルバート(野菜カレーと豆のスープ、ごはんがセットになったネパール定食)をお代わりする姿を見ていると、生きててよかったねと思う。

 心の傷が癒えない部員がいる。風雪への恐怖。そして、亡きメンバーに対して「あの時、もっとできることがあったのでは」と考えてしまう人がいる。

 過酷な冬山で仲間を救えるのは、劇画に出てくるスーパーマンだけだ。山登りは自己責任。東北の「津波てんでんこ」の言い伝えと同様、山でもまず、我が身を守ることが大切だ。

「あなたに責任はない」と毎日100回、周りが言う必要がある。

 前に他大学が遭難事故を起こした際、「このレベルの山登りをしていれば、何年かに1度は事故が起きても仕方ない」と監督が言った。山岳部では違和感のない発言だが、それは記者会見の席上。かなり物議を醸した。

山の事故が裁判沙汰になる今なら、ただでは済まない。でも部員はみな、危険は覚悟の上で登っている。

山では想定外の雪崩、落石、悪天候、ほんのわずかなミスが命取りになる。私自身、ずいぶん際どい思いをした。雪の穂高を登っていて、目の前で登山者が滑落死したことがある。友人知人の何人かは、山に逝った。

そのせいで刹那的になったとか、性格が屈折したということは(たぶん)ない。その逆だ。生きているだけでラッキーという境地は、日常のささいなことに幸せを見い出せる。特に逆境で、それは大きな心の支えになる。

がんで余命宣告を受けたスティーブ・ジョブズが、大学の卒業式で「If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right」と語りかける場面をyoutubeで見た。死を実感できない学生たちは爆笑していた。

 毎日毎日、今日が最後と思いながら生きるのは大変だ。だが死に直面する体験をして「いずれ人は死ぬ。あす死ぬこともある」と、観念でなく実感として持つことは、1日1日を大切にすることにつながる。

 若い時にとても大変な経験をしたが、それは決して無駄なことではなかった。そう思える日がきっとやってくる。卒業していく部員に、そのことを伝えたい。

キャンチェン・ゴンパの朝


2017年3月25日

続・雨の成都


 ネパールの帰りも、ヒマラヤを越えて中国四川省・成都に寄った。

 成田便まで待ち時間がある。暇つぶしに、空港から市バスに乗って成都の繁華街へ。料金は10元(160円)。

 乗りものの窓から、流れる景色をぼんやり眺める至福のひと時。

 できれば一生そうしていたい。

 9年ぶりの成都だが、バスが市街地に差し掛かっても、ビルが立ち並ぶ風景に見覚えがない。

 近年の成都はIT企業が集積し、米フォーブス誌が「今後10年で最も発展する都市ランキング」の世界1位に選ぶ。9年あれば経済規模が倍増するほどの高成長で、すっかり別の街になってしまった。

 ちょうど昼時で、道に人があふれている。そのエネルギッシュな様子、まず日本ではお目にかかれない。



 9年前、死者9万人を数えた四川大地震の取材拠点として、この街に2週間滞在した。毎日夜明け前に起きて、被災地域に通った。

 それまで新潟県中越地震、スマトラ沖地震、パキスタン北部地震などを取材し、現場慣れしているつもりだった。それでも、ここは地獄だった。

 成都から徒歩10時間でたどり着いた震源地。4階建ての小学校が倒壊し、児童数百人が生き埋めになっていた。私が着いた時は捜索活動も一段落し、毛布にくるまれた遺体が道端に並んでいた。

 毛布の端から、かわいい小さな手足が見える。

 日本の新聞では、遺体写真は使わない。逃げるようにその場を去った。

 取材中に日が暮れて、夜は被災者のテントの入り口で寝た。ふと目覚めると、テントの前を子どもの集団が、音もなく通過していく。そのただならぬ雰囲気に、カメラを向けるのも忘れて目で追った。

 誰もが無言。泣きはらした目。朝もやの中で肩を寄せ合い、夢遊病者のように去っていく。

 地震で両親と家を失い、故郷を離れて疎開していく孤児たちだった。

 あんなにも、体全体に絶望を宿した人の姿を、生まれて初めて見た。

 その1週間後、何でもない場面で、涙が止まらなくなった。
 
 そして9年たった今なお、当時の感情にフタをしている自分がいる。



 バスの終点で降り、1ブロック歩いてみた。そこにはグッチやエルメスなど高級ブランドが並ぶ、ありふれた大都会の顔があった。

 地元の人でにぎわう食堂で食べた、一皿10元の麻婆豆腐が絶品だった。






2017年3月19日

雨の成都、午前2時


 誰かがドアを連打している。

 もうろうとして枕元の電気をつけると、檻のような空間が浮かび上がった。ここは四川省、1泊2500円の安宿。

大声で返事をしても、連打は止まらない。服を着てドアを開けると、廊下に立っていたのはフロントのおばちゃん。片手でパンをかじりながら、「さあ行こう」と手招きする。

 外は真っ暗だ。時計を見ると、空港に行く時間にはまだ早い。

 身振り手振りで「支度するから待って」と伝え、あわてて身づくろいする。その間も、断続的にドアの連打音。

 階段でフロントに下りてみると、待っているはずの送迎バスの姿はない。おばちゃん慌てて電話を掛けはじめ、なにか大声で怒鳴っている。

 結局、空港へのバスがやってきたのは約束の20分後。あらかじめ時間に余裕を持たせてあったので、飛行機には乗り遅れずに済んだ。

 やれやれ、これが中国だ。

 前の日の夜半、羽田から北京経由で成都空港に着いた。航空会社にトランジットホテルを手配し、「着いたら受付カウンターにお越しください」とのことだったが、到着ロビーのどこにもそれらしきカンターがない。

総合案内所もなければ両替所もない。銀行ATMもない。

 同じ便で着いた中国人乗客は、足早に去っていく。異国の空港に、無一文で取り残される午前1時。

 近代的な空港だが、猥雑さも残っている。わざとらしく右往左往してみると、すぐに一人の男が声を掛けてきた。思った通り安宿の客引きだ。言葉は通じないが、「1泊150元」「送迎無料」と言っているようだ。

「クレジットカードで払いたい」この大事な点が理解されない。言われるがまま、ボロボロのワンボックスに乗り込む。外は土砂降り。

 運転席と助手席に男がいた。さかんに話しかけてくるが、彼らは英語を話さないし、私は中国語がわからない。

車は大通りを外れたかと思うと、どんどん暗がりに入っていく。右折と左折を繰り返し、やがて街灯もないゴミだらけの裏通りで停車した。

やばい、と思った瞬間、玄関に明かりが灯った。小さな宿の前だった。

案の定クレジットカードが使えず、門前払いに遭う。すると男たちは、私を乗せて付近の宿を回り始めた。

タバコを勧められて、10数年ぶりに喫煙する。暗くて顔は見えないが、実は親切な人たちだ。

「日本円OK」の宿が見つかったのが、午前2時すぎ。

東南アジアを放浪していた学生時代の旅を思い出した。


2017年3月6日

エアチャイナの24時間


 ヒマラヤと素朴な人々の国、ネパールへ。

 今回は中国国際航空(エアチャイナ)で飛んだ。

 東京からカトマンズまで、往復1万キロで4万8千円。キロ当たり5円を切る、圧倒的な安さ。

エアチャイナへの、ネット上の評判はよくない。

日本語ネット社会は「嫌中」が大流行り。よくもここまで、中国政府と一般企業、市民を混同できるもの。その材料はマスメディアが与えている。

エアチャイナへの酷評も、偏見と先入観に満ちたもので、信じるに値しない。

たぶん。

カトマンズまでは北京と成都で乗り継ぎ、24時間かかる。その間、中国を垣間見られる。むしろありがたい。

羽田空港のカウンターで、大きな荷物をカトマンズまでスルーチェックインにしてもらう。出発時刻に機内へ乗り込もうとすると、地上職員が大勢の乗客から私を見つけて駆け寄ってきた。

「お客さまの荷物をカトマンズまでスルーにすると、途中でなくなる可能性大です。タグを作りなおしましたので、北京と成都で引き取って、そのつど次の便に預けなおして下さい」

なんと。でも正直といえば正直だ。

巨大な北京空港では、3時間ある乗り継ぎ時間が、入国審査~国内線ターミナルへの移動~再チェックイン~セキュリティチェックでつぶれた。よく歩いた。

次の成都行き国内線は満席で、中国人が99%。大声で騒ぐ団体さん、負けじと声を張り上げるキャビンアテンダント、そしてひっきりなしに流れる大音量の機内アナウンス。

エアチャイナの旅に、耳栓は必須アイテムだ。

下を向いてイヤホンの音楽を聴いていたら、客室乗務員に何か注意された。機内での会話といえば「Coffee, Tea, or Me?」等々、定型ばかり。ヘブライ語でもスワヒリ語でも見当がつきそうだが、この場面での中国語はわからなかった。

成都で夜を明かし、いよいよ最後の区間、カトマンズ行き。カウンターの係員が、座席を「後方左窓側」から「前方右窓側」に替えてくれた。

カトマンズ空港でビザ申請窓口へのダッシュに負けると、長い行列に並ぶことになる。真っ先に飛行機を降りたいので、この位置はありがたい。

到着1時間前、カメラを構えて待つ。やがて、峩々たるヒマラヤの山並みが見えてきた。真っ白い雪煙をたなびかせているのが、世界最高峰エベレストだ。高度1万メートルを飛ぶ飛行機から、8848メートルの頂が近い。

成都の職員はこの眺めのために、黙って席を替えてくれたのだろうか。

今回乗った3便とも定時出発。地上職員やキャビンクルーの仕事ぶり、パイロットのアナウンスからは、生真面目なエアラインという印象を持った。



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...