2016年8月26日

残暑の丸の内


 信州の森を出て、東京・丸の内へ。小学校の同窓会に出た。

42年ぶり、劇的な再会なのである。

「32年ぶりの劇的な再会」だった高校の同窓会では、私だけ当時のことをろくに思い出せず、話に加われなかった。それがトラウマになって、今回は出席にかなり勇気が要った。42年ぶり・・・懐かしさより、怖れが先に立つ

 生唾を飲んで、会場のレストランへ。すでに、当時の恩師ほか6人が集まっていた。

いきなり、目の前に座った先生を思い出せない。

 冷や汗を流していると、先生の方から「あなた誰だっけ?」。今まで数えきれないほどの子を教えてきたのだろう。そして、先生と私は半年しか重なっていないことも判明。お互い覚えていないわけだ、ということにしておく。

 クラスメートのうち2人の顔は、すぐわかった。変わってないな~、と思ったら当たり前で、この2人とはその後同じ高校に入り、卒業まで一緒だった。

 残りの4人とは正真正銘、42年ぶりの再会になる。お互い、ウッと息をのむ。当時の白黒写真を見せあい、「これがボク、こっちがキミ」と確認するうち、徐々に記憶が蘇ってきた。

今日ここに集まったのは、母校・パリ日本人小学校の当時3年生たち。クラスが10数人だったので、その半分が揃ったことになる。

親の転勤で友だちがひんぱんに入れ替わり、日本全国、世界に散らばった。長らく音信不通だった時期を経て、今回7人もが集まれたのは奇跡に近い。

日本人学校ができる前は現地校に通い、フランス人から「シノワ(中国人)!」といじめられた。帰国後、今度は日本の学校で「フランス帰り!」と仲間はずれに。思い出話をするうち、みな似たような体験をしていたことを知る。

その後親として、我が子を学校に通わせたTさん、「少しでも皆と違う子を排除する日本の子どもたちの気質は、今もまったく変わらない」と言っていた。

「学校の廊下にシャンデリアが並んでて、赤いじゅうたんが敷き詰められてたよね」「毎月のように友だちのお別れ会があって、出し物を考えるのが大変だったよね」「そうそう!」みんなの会話が弾む。ところが・・・例によって、ことごとく覚えてない。

相当ぼんやり生きていたようだ。もったいないことをした。

M君の帽子お洒落だなあ、と眺めていたら、彼はデザイナーだという。ほかにもグラフィックデザイナー、ミュージシャンなどクリエイティブな職業が多い。いちどパリの空気を吸うと、やっぱりその後の生き方に影響する。

感慨にふける私の傍でグラフィックデザイナーのE君、「あの頃、Sちゃんから日本の少女マンガを借りて読んだおかげで、絵心に目覚めた」。

・・・別にパリでなくても、目覚める場所はどこでもよかったみたい。




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