2016年8月10日

風が運ぶオリンピック


 風の便りに、オリンピックの開幕を知った。

 吹き抜ける一陣の風が、ミズナラのこずえを鳴らす。森の声に耳を澄ませていたら、

「うわああああ」「ぎゃああああ」

シカともキツネとも違う声に、静寂を破られた。

木立の向こうの家からだ。テレビを見て叫んでいるようだ。

歓声と悲鳴。

翌朝届いた新聞で、サッカーや競泳の試合があったことを知った。

地球の裏側でやっているにしては、日本の昼に生中継される競技もあるらしい。私と妻は半年待って、年末に放映される総集編を見ることになりそう。

4年に1度のオリンピックに、新聞社は大取材団を送り出す。ひとたび開幕すれば、紙面は1面、運動面、五輪特集面、社会面などで大展開する。ほとんどスポーツ新聞状態。

カメラマンにとっても、オリンピックに派遣されることは大変な名誉だった。冬季五輪を含め、チャンスは10回あったのに、自分はかすりもしなかった。

多くのスポーツ取材で、ろくにルールも知らずに撮っていた。たまたま指名されたサッカー・アジア予選の取材では、ゴールシーンをことごとく外した。これでは、選ばれなくて当然、といえば当然だ。

いやいや正確には、少しかすった。五輪開催地を決める、IOC総会の取材。ソウルとシンガポールに出張した。

2005年、勇躍シンガポールの会場に乗り込む。五輪取材のベテラン記者が、自信ありげに「2012年はパリで決まり!」と言う。その言葉を信じ、フランスの招致団にカメラを向けて発表の瞬間を待った。

不意に、背後でどよめきと大歓声が上がった。開催地に決まったのは・・・ロンドンだった。

そりゃないよ~

翌日の紙面には、喜ぶイギリス招致団を撮った外電写真が大きく掲載された。私が苦し紛れに撮った「呆然とするフランス招致団」は・・・当然ボツ。

空振りで 経費請求 そっと出し

難しいとされるサッカー取材はともかく、会議取材でも大失態。オリンピックには、いい思い出がない。

お盆休みに入り、この信州の森にも、都会から人が流れ込んで来た。スマホやテレビを持つ彼らを通して、五輪情報が漏れてくる。木漏れ日の読書が、たび重なる奇声で中断される。

自分だけネットやテレビを遠ざけても、これから閉会式までは、一喜一憂の波動に飲み込まれてしまうのだろう。ソローの「森の生活」を気取るなんて、とてもとても。

オリンピック、恐るべし。

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