森を散歩していたら、向こうからおじいさんが歩いてきた。
麦わら帽子をかぶって、ゆらりゆらりと。
あいさつすると、帽子の下で優しげな青い瞳が光っている。
その日は朝から晴れて、この夏初めて、北アルプスがはっきり見えた。重厚な岩山の連なりを、しばらく2人で眺めていた。
その1週間後。こちらで知り合った元国際線パイロット氏に、「明日、うちにイギリス人が来るんだけど興味ある?」と誘われた。なんでも、「中世日本(鎌倉・室町時代)で寺が社会に与えた影響」を研究する元教授だという。
たまにはアカデミックな話もいい。でも日本史は苦手だ。難しい話を英語でやられるのも苦手。
翌日、森の中を30分歩いてパイロット氏宅に着くと、見覚えのある人が立っている。
あの時のおじいさん。
奥さんは日本人で、本人も訥々とした日本語を話した。
名前をマーティンさんという。経歴を聞くと、ただのじいさんではなかった。英ケンブリッジを卒業後に来日し、請われて東大へ。その後アメリカに渡り、ハーバードとプリンストンで教えていたという。
絵に描いたようなインテリというか、インテリが服着て歩いているというか。
さらに驚いたことに、東大時代、彼は皇太子(現天皇)の英語教師をしていた。皇居の中までタクシーで通ったので、運転手が何度も行き先を聞き返した。
英語の勉強中、背後の水槽で魚が泳いでいた。「最近、彼が生前退位に言及したのは、公務から離れて魚の研究がしたいのでは?」とはマーティンさんの見解。
プリンストン時代は、作家の村上春樹も大学にいた。ある日ランチに招待すると、ハルキは15キロの道のりをジョギングできて、シャワーと食事の後、また走って帰っていった。「彼はとても真面目でシャイな人でした」。
マーティンさんは最近、学部長職を最後にプリンストンを定年退職。妻の母国で老後を送るために、47年ぶりに日本の土を踏んだところだという。
思いがけない出会いがある。朝の散歩は三文の徳。
毎日森を歩いていると、苔むした古い山荘が点在しているのを見る。廃屋とばかり思っていると、夏の夜、突然窓に明かりが灯る。ひっそり暮らす彼らは、マーティンさんのみならず、多彩な経歴の持ち主だ。
大学教授。外交官。指揮者。画家。パイロット。山岳ガイド。環境コンサルタント。援助団体主催者。山野草愛好家。
人生の先輩に話を聞くのが、こちらでの楽しみになった。
そんな散歩の途中、路傍にサンダルや運動靴が置いてある。気味悪いほど、あちこちで見かける。
夏が終わり、山荘から人影が消えると、森はいよいよ彼らのものだ。