2016年7月23日

巨星(巨泉)堕つ


 信州の高地では、早くもトンボが群れ飛んでいる。

 バルコニーに、黄色く色づいた葉が舞い落ちてくる。

 日が短くなっているのを、肌で感じる。

もうすぐ初雪か? そんな、秋の気配を感じる。まだ7月なのに。



早朝、自分で赤く塗った木の郵便受けに、新聞が届いた。

こんな山奥まで・・・街中の販売店から、車で30分はかかるはず。本当にありがたい。

山荘生活では、やむなくネット断食している。持参のauガラケーは電波が届かないので、妻のドコモを借りてメールチェック。ブログを更新するときは、自分のタブレットを背中に背負い、wifi のつながる場所まで15分、森の中をとことこ歩く。

ネットさえつながれば、ニュース記事が読める。経済週刊誌系は、記事全文が無料で読める。OBながら「購読料を払って新聞を取る価値はあるのか?」と、思うことも。でもこの環境に来て、久しぶりに新聞のありがたさが身に染みた。

昭和の暮らし、再現中。

そして、永六輔、大橋巨泉、竹田和平の死を紙面で知る。いずれも昭和ヒトケタ生まれ。国に頼らず、個人の生き方を貫いた人たち。

人気司会者だった巨泉は、50代で「セミリタイア宣言」。奥さんと一緒に日本、カナダ、オーストラリアを1年ごとに回遊する生活を始めた。彼の本で、初めてセミリタイアなるものを知り、「こんな生き方もあるんだ・・・」ひそかに憧れた。

竹田和平を知っている人は、あまりいないかも知れない。「タマゴボーロ」の竹田製菓元会長。引退後、個人投資家として株式市場の暴落をくぐり抜け、独自の投資哲学を築いた。

「下がってよし、上がってよしの株価かな」という彼のことば、はじめ意味がわからなかった。個人投資家を目指して20年近くたったいま、自分もそんな境地に至りたいと願う。

 永六輔はともかく、巨泉や竹田和平は、世間の好感度が高くないかも知れない。それでも、「学校を出て会社に入り、決められた定年までその会社で働く」「会社の近くに家を買い、35年ローンを返すために働き続ける」のとはまったく違う生き方を見せてくれた点で、私には希望の星だった。

特別な才能も財産も持たないサラリーマンが、彼らをマネしても墓穴を掘るだけ? 

でもいまは、昭和の頃とは時代が違う。ITと金融の発達で、没落する先進国の国民でも、世界経済への投資でベーシックインカムを得ることができる。その上で、東南アジアの片田舎でも、信州の山奥でも、好きな場所で暮らし、働ける。

ただいま、それが可能なことを実証実験しています。乞うご期待!

ただし、最終結果の判明は10年後か30年後、あるいは50年後になります。



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