2016年5月29日

努力と勤勉はご法度


 努力や勤勉は、この国では美徳だ。

 もし努力すること、勤勉であることを禁じられたら?

 株式投資に「バイ・アンド・ホールド」という手法がある。売買を繰り返すのでなく、買った株を持ち続けて、企業の長期的な成長についていくやり方。

 投資を始めたころ、自分なりに勉強して選んだ株がことごとく値下がりした。あきらめて売ると、とたんに値上がりした。

自分には株の売買は向いていない。人生の早い時期に、それがわかって幸運だった。すぐ「バイ・アンド・ホールド」に専念した。

 資本主義と市場経済の総本山アメリカには、ジェレミー・シーゲル、バートン・マルキール、チャールズ・エリス、ジョン・C・ボーグルら、この宗派の大家がいる。彼らの本を読み漁った。

 世界中に分散された株式ポートフォリオを作り、お金をかき集めてまとめ買いする。後は、雨が降ろうが槍が降ろうが、決して動かさない。

 手数料の安いインデックスファンドやETFを使い、持ち続けることで売買コストを抑える。さらにDC、NISAなどの諸制度を活用して、課税を繰り延べする。一攫千金!とはまではいかないが、15年以上続けたら、世界のGDP伸び率以上に増えた。

 株価は、短期的には経済実態と関係なく上下する。毎月の給料で積み立て投資をしていた頃は、暴落に遭遇しても「安く買えるから、下がってもうれしい」と思うことができた。退職後は、下落をそのまま受けとめなければならない。

 日々爽快な気分で暮らすため、徹底して経済ニュースに触れないことにした。

 タブレット端末のお気に入りからファイナンス関連を外す。テレビを見ない。経済新聞は読まない。口座残高は、チェックしない。

 それでも、都会に出れば株価ボードが目に飛び込んでくる。家でもネットにつながっている限り、その種の情報は防ぎようがない。

 幸い、この夏は山籠りすることにしている。昨秋手に入れた、森の中の小さな山荘。

 テレビやラジオはなく、携帯電話もほぼ圏外。ネットは妻の端末を借りるか、管理事務所まで下山してメールチェックのみ。ある意味、最高の環境だ。

 努力して情報を集め、勤勉に動けば損をする。世の動きを無視し、あえて何もしないと、いい結果につながる。

何もしないのは簡単なようで、貫くには哲学が必要だ。勤勉な努力家には苦痛でさえある。

私は勤勉でも努力家でもないが、哲学も足りない。そこで、外国で暮らしたり山籠もりしたり、環境の助けを借りている。

情報過多の現代では、あえて情報から遠ざかった方が、いいことが待っている気がする。


2016年5月17日

ロストバゲージ3


ひと月後、議会選取材でふたたび東ティモールへ。盗難に遭ったデンパサール空港を避け、オーストラリア・ダーウィン経由便を予約した。帰路ダーウィンに1泊が必要だが、ロストバゲージはこりごりだ。

ダーウィンは、第2次大戦で日本軍の空襲を受け、犠牲が出た。いまだに反日感情があると聞く。ジャカルタ支局のS記者は以前、ダーウィンの入管で1人だけ別室に連行され、執拗に取り調べられた。

私もダーウィン空港に着き、入国審査の列に並ぶ。東ティモール・ディリ便は小さなプロペラ機で乗客も少ない。あっという間に順番が来る。

恐る恐るパスポートを差し出す。ポン!と勢いよくスタンプが押され、簡単に入国できた。

日本人かどうかは問題でなく、単に人となりを見ているのだろう。品行方正、謹厳実直な人柄がにじみ出たようだ。

翌日、シンガポール経由で順調にバンコクへ。ところが、待てど暮らせど、我がスーツケースが姿を現さない。

ターンテーブルの荷物がどんどん捌けて、ついに最後の一個が持ち去られる。ゆっくりと、ベルトが止まる。

やれやれ、まただ。東ティモール出張は鬼門だ。

ふたたび訪れた、バンコク空港遺失物カウンター。職員の話では、私が乗り継いだふたつの航空会社は提携がないので、シンガポールで荷物をピックアップし、再度自分でチェックインし直す必要があったそうだ。

数日後、無事にスーツケースが戻り、今度はしっかり中身も入っていた。

別の出張では、アフガニスタン・カブールからUAEのドバイに飛んだ。カブール空港のチェックインカウンターで

「もし荷物がなくなっても、航空会社に責任を問わない」

という書類にサインを迫られた。しないと乗せてくれない。

この時は無事、荷物を回収できた。

計3回経験したロストバゲージは、いずれも帰り道や、時間に余裕がある企画取材の途上だった。もし事件取材の途中だったら、と思うとぞっとする。

米誌ニューズウィークが、「世界のエアライン安全度ランキング」を発表している。リストを下から見ると、「最も危険」と評されたアリアナ・アフガン航空はじめ、ワースト100社のうち19社に乗ったことがあった。

荷物の心配よりまず、命が無事だったことを喜ぶべきなのかも知れない。




2016年5月9日

ロストバゲージ2


東ティモール大統領選取材の帰り道、首都ディリからバリ島デンパサール経由、空路バンコクに戻った。

出発が遅れ、2時間あった乗り継ぎ時間は50分に。デンパサール到着後、急いで乗り継ぎカウンターに行く。航空券とパスポート、空港税用の現金を預けさせられ、「職員がチェックインを代行するので、座って待て」と言う。こんなやり方、初めてだ。

バンコク行の出発間際になって、ようやく職員が戻ってきた、と思ったら、

「あなたの荷物はディリに積み残された。明日の便で送るから、そのままバンコクに向かって欲しい」

と、有無を言わさず乗り継ぎ便に押し込まれた。

ディリ空港は滑走路が短く、乗客が多いと、積みきれない荷物を残したまま離陸してしまうそうだ。仕事がらみの旅なので、ハプニングを面白がる心の余裕はなかった。

機内で空港税のお釣りを数える。米ドルで払ったのに、お釣りはインドネシア・ルピア。しかも足りない。

バンコク到着後、荷物紛失カウンターで届を出す。毎日、空港に問い合わせの電話を入れるが、荷物は一向に届かない。そのうち、次の出張が迫る。

一週間後にようやく、「荷物がバンコク空港に到着した」との連絡を受けた。

空港で、愛用のドイツ製スーツケースと対面。なぜか、汚い紐でグルグル巻きにされている。不吉な予感を覚えながら手に取ってみると、ダイヤルロックがバールでこじ開けられた形跡がある。

あわてて中を改めると、大事なノートパソコンが消えていた。

私のスーツケースをX線検査機で透視し、パソコンを見つけたのだろう。金目のものだけを効率よく抜き取っている気配を感じる。空港のセキュリティ担当者が、ドロボーとグルになっているとしか思えない。

いつも撮影機材が多く、予備のパソコンは預けざるを得なかった。でも次の出張から、パソコンを2台とも、無理やり機内に持ち込むことにした。

めぼしい所持品には保険をかけてあった。保険会社との交渉で、2年落ちの中古パソコンは、買った時の値段で払い戻された。おかげで、最新型を買いなおすことができた。

 盗ったドロボーと盗られた私。2人とも得してしまった、と言えなくもない。

2016年5月2日

ロストバゲージ


バンコク在任中の3年間、出張で年100回以上、飛行機に乗った。

いつかは「ロストバゲージ」、預けた荷物がなくなる事態を覚悟した。

実際、3年間で3回スーツケースが消えた。確率的には、搭乗100回に1回ということになる。運が良かったほうかも知れない。

最初の事件は、SQ(シンガポール航空)に乗ったときに起きた。アジアで最も信頼できるエアラインのひとつだ。

美人CAの洗練された機内サービスを受け、定刻にモダンなシンガポール空港に降り立つ。ところが、待てど暮らせど荷物がターンテーブルから現れない。

最後のひとつを乗客が持ち去り、無情にもベルトが停止した。天国から地獄に突き落とされた気分で、手荷物紛失カウンターへ向かう。

係の女性に事情を話し、言われるがまま、用紙にスーツケースの特徴、氏名、連絡先などを記入する。その職員は「見つかり次第連絡し、お泊まりのホテルに届けます」 と慣れた口ぶりで言い、これにて一件落着、と涼しい顔をしている。

ちょっと待った。

「えーと。荷物がなくなったのは、そちらの手違いですよね。今晩、私は着替えなし、洗面道具もなしで寝ることになるんですよ」

するとしばらくして、SQのロゴ入り洗面道具セットとTシャツ、当座の費用として現金数10ドルが、魔法のように出てきた。

ひと言、言ってみるものだ。それにしても、文句を言った客にだけ弁償するSQはせこい。他のエアラインの対応はどうなのだろう。

その日の夜中、無事ホテルにスーツケースが届けられた。バンコクで積み忘れて、後続便で運ばれてきたらしい。数時間、気をもんだほかは実害なく、夕食代をSQに払ってもらって、トクした気分になる。つくづく、自分は安上がりな客だ。

なくなると仕事に差し支えるので、飛行機に乗る時は、持てる限りの商売道具を機内に持ち込む。カメラ2台とレンズ4本、ストロボ2台、パソコン2台、衛星電話、各種バッテリーなどなど。重さにして20キロほど。貨物室に預けるのは、予備の撮影機材と着替えぐらいだ。

搭乗時は毎回、手荷物を座席の上の棚に収納する作業に大汗をかく。
20キロを足元から頭上に持ち上げ続けて、四十肩と腰痛になった。

ちなみに、これだけの大荷物を抱えて乗り込んでも、3年間ほとんどお咎めなし。タイ航空はじめ、アジアのエアラインは実に大らかだった。


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...