秋の日がとっぷり暮れた頃、電車に乗って隣町へ。古ぼけた町民会館の蛍光灯の下で、まどかちゃん(仮名)と中3英語の教科書を開く。
授業でやったページを読んでもらうと、英単語の3つに1つは「え~、わかんない」という日本語になる。読みも意味もわからないという。
まどかちゃん、高校進学を希望している。現状の英語力では、中1の教科書からやり直した方が良さそう。でも、そんな時間はない。
どうすりゃいいんだ。
ここは、生活保護世帯の子が通う学習塾。町から委託を受けた福祉施設が、塾に通うお金がない家庭(多くは母子家庭)の子に、学習の機会を無償で提供する。ボランティアで集まったスタッフは、元教師や現役大学生たちだ。
一介の元サラリーマンで、教える技術を持たない私も「一緒に学ぼうという姿勢でいいんです」と、温かく迎えてくれた。
今どきの子と話してみたい。そんな軽さで参加はしてみたものの、やはり現実は重かった。
本来、義務教育は無料のはず。学校だけでは足りず、カネのかかる塾に通わないと人並みに進学できないという現状は、おかしいのではないか。
中卒で就職するのは著しく不利。高卒でもかなり不利。たとえ大学を出ても、一生稼げる仕事にありつける保証はまったくない。日本の教育制度は、グローバル化した労働市場で必要とされる人材を産み出せていない。
それでもなお、進学を目指すべきなのだろうか。
百歩譲って、この子たちの尻を叩いて勉強させ、進学させたとする。その先に待っているのは、少子高齢化と人口減少でじり貧の、日本の企業群だ。縮小するパイを奪い合うブラック企業に送り込むため、「文句も言わずに長時間労働に耐える若者」を生産する学校。
果たしてそれが教育と言えるのだろうか。
私自身は中流家庭に育ち、バブル真っ只中で学生生活を謳歌。そのまま大手企業に就職し、25年も給料をもらい続けることができた。ただ時代に恵まれただけで、彼らには何の参考にもならない。
学歴による選別を経て、大企業の年功序列と終身雇用に乗る「勝利の方程式」は滅びた。キャリア形成が昔ほど単純でなくなったいま、中年の私を含め、一生学び続け、自分の頭で考え続けることが、何より大切なのだと思う。
まどかちゃんは、youtube でゲームの達人たちの超絶技巧を見るのが好きだという。彼女が将来、ゲームの名人になり、投稿動画を通して世界に名を知られる姿を想像する。おっさんと一緒につまらない教科書と格闘するより、「好きなこと」の周辺を掘り下げた方が、あるいは幸福な人生に出会えるのかも知れない。
週1回、90分で我々大人ができることは知れている。漂う閉塞感に惑わされず、経済的ハンディにも負けず、自らの手でチャンスを掴んで欲しい。
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