2015年10月26日

心のファック・ユー・マネー


インベストメント・バンカーは、一生暮らせるカネを稼ぐことを目標にする。

名付けてファック・ユー・マネー。

上司に「くそったれ!」と啖呵を切って、会社を辞めるためのカネだ。

金額にして、3~4億円だという。

「巨大投資銀行」の作家・黒木亮が、日経新聞に書いている。

彼自身も銀行や商社で働き、一生暮らせる蓄えを作って46歳で退職。いまは自分が書きたいテーマだけを書き、ロンドン郊外に暮らしている。

カネで幸せは買えなくても、自由を買うことはできるのだ。

ところでこのファック・ユー・マネー、好景気に居合わせたウォール街の投資銀行家だけが稼げるカネだろうか。

アングロサクソンたちの弱肉強食、一攫千金とは一線を画す地道な方法で、「慎ましく暮らせば」一生食べていけるカネを作る。

それを実践した先人が、日本に2人いる。

日比谷公園を設計した明治期の林学博士・本多静六と、今年91歳になる言語学者、外山滋比古。

2人に共通するのは、若いころから貯金を習慣にして、そのカネを銀行に預けず、株式に投資したことだ。

本多は学者ながら巨万の富を得て、慈善家としても活躍。外山も大金持ちでこそないだが、主義主張を通して40代で転職し、捉われない生き方を謳歌している。

彼らの時代、株で財を成すには幸運も必要だったと思う。個人の投資先は国内に限られ、情報も少ない。時には、買った株が紙くずになったこともあったはずだ。

いまや、時代は変わった。

ポマード頭の橋本龍太郎が首相在任中、命を削って断行した「金融ビッグバン」。私たちに外国株投資への道が開かれた。

そして7年前に登場したのが、VT。

私が「株式投資の最終兵器」と信じる金融商品だ。

Vanguard Total World Stock の略で、NY市場に上場する投資信託。この1本で、新興国や小型株を含め、世界8000社以上の株が買える。

たった60ドル(約7000円)で、究極の国際分散投資ができるのだ。

給料の一部で、雨の日も風の日もVTを買い続ける行為は、私に夢と希望をもたらした。会社に行くのが辛い時期を持ちこたえ、人より早く退職する決心もできた。

若い友人たちも、ぜひVTで「心のファック・ユー・マネー」を作ってほしい。

※でも投資は自己責任でお願いします・・・


2015年10月20日

ドラゴン桜?


 秋の日がとっぷり暮れた頃、電車に乗って隣町へ。古ぼけた町民会館の蛍光灯の下で、まどかちゃん(仮名)と中3英語の教科書を開く。

授業でやったページを読んでもらうと、英単語の3つに1つは「え~、わかんない」という日本語になる。読みも意味もわからないという。

 まどかちゃん、高校進学を希望している。現状の英語力では、中1の教科書からやり直した方が良さそう。でも、そんな時間はない。

 どうすりゃいいんだ。

 ここは、生活保護世帯の子が通う学習塾。町から委託を受けた福祉施設が、塾に通うお金がない家庭(多くは母子家庭)の子に、学習の機会を無償で提供する。ボランティアで集まったスタッフは、元教師や現役大学生たちだ。

 一介の元サラリーマンで、教える技術を持たない私も「一緒に学ぼうという姿勢でいいんです」と、温かく迎えてくれた。

 今どきの子と話してみたい。そんな軽さで参加はしてみたものの、やはり現実は重かった。

 本来、義務教育は無料のはず。学校だけでは足りず、カネのかかる塾に通わないと人並みに進学できないという現状は、おかしいのではないか。

 中卒で就職するのは著しく不利。高卒でもかなり不利。たとえ大学を出ても、一生稼げる仕事にありつける保証はまったくない。日本の教育制度は、グローバル化した労働市場で必要とされる人材を産み出せていない。

それでもなお、進学を目指すべきなのだろうか。

百歩譲って、この子たちの尻を叩いて勉強させ、進学させたとする。その先に待っているのは、少子高齢化と人口減少でじり貧の、日本の企業群だ。縮小するパイを奪い合うブラック企業に送り込むため、「文句も言わずに長時間労働に耐える若者」を生産する学校。

果たしてそれが教育と言えるのだろうか。

私自身は中流家庭に育ち、バブル真っ只中で学生生活を謳歌。そのまま大手企業に就職し、25年も給料をもらい続けることができた。ただ時代に恵まれただけで、彼らには何の参考にもならない。

学歴による選別を経て、大企業の年功序列と終身雇用に乗る「勝利の方程式」は滅びた。キャリア形成が昔ほど単純でなくなったいま、中年の私を含め、一生学び続け、自分の頭で考え続けることが、何より大切なのだと思う。

まどかちゃんは、youtube でゲームの達人たちの超絶技巧を見るのが好きだという。彼女が将来、ゲームの名人になり、投稿動画を通して世界に名を知られる姿を想像する。おっさんと一緒につまらない教科書と格闘するより、「好きなこと」の周辺を掘り下げた方が、あるいは幸福な人生に出会えるのかも知れない。

週1回、90分で我々大人ができることは知れている。漂う閉塞感に惑わされず、経済的ハンディにも負けず、自らの手でチャンスを掴んで欲しい。


2015年10月14日

森の生活


 雨上がりの夜明け、何者かが家を強くノックする音で目覚めた。固くとがったもので、力いっぱい屋根を叩いている。家じゅうに打撃音が響き渡り、あわててカーテン越しに外を伺う。

キツツキと目が合った。

我が山荘の屋根は、すでに7つものキツツキの穴。ひとつ塞ぐのも、業者を頼めば相当な出費だ。心地よい森の効果音も、今となっては目の敵。窓を開けて追い払うと、奴は涼しい顔で、隣の山荘に穴を開け始めた。

朝食前に、紅葉の森を散歩する。都会との10度近い温度差に、手がかじかむ。突然、目の前に3頭の鹿が現れ、林道を跳躍して音もなく茂みに消えた。一瞬の出来事は、白昼夢のよう。

30年来の借り家暮らしで車もないのに、標高1600メートルの森に山荘を買ってしまった。冬になると雪が腰まで吹き溜まり、玄関までたどり着けなくなりますよ、と不動産屋が脅す。かなりの山奥だ。

前の住人が手放してから、数年間空き家になっていた。まず管理会社に頼んで、電気、水道、ガスを通してもらう。布団と洗濯機は、宅配業者が合鍵で勝手に搬入してくれる。そして今回、レンタカーに生活道具を満載し、実際に泊まってみた。

恐る恐る、冷え切った暗い室内に入る。スイッチを入れ、電灯をつける。生命線の暖房は、無事に点火した。水も出る。お湯も出る。トイレも流れる。ガスコンロの火もつく。何とか夜を越せそうだ。

家の外を点検すると、100リットルは入る大きな灯油タンクと、4本並んだプロパンガスボンベが冬の厳しさを物語っている。

ひと通りの清掃を専門業者に頼んだので、室内はきれいになっている。窓という窓を全開して風を通し、床や木の壁を布で拭く。玄関を塞いでいた枯れ木を、のこぎりで切り倒す。少しずつ、家を生き返らせていく。

ふと手を休めて、窓から森を眺める。枯れ葉が音もなく空を舞い落ちていく。バルコニーに出れば、充満する木の香り。日が落ちると、圧倒的な闇の深さと、静寂が周囲を支配する。

これまで25年間に8回、会社の辞令で国内外を転々とした。退職後は順番を逆にして、自分たちが暮らしたい場所に住むことを優先した。地方都市と東南アジアを行き来する考えだったが、山暮らしも加えた3か所になってしまった。

自称「貧乏な大橋巨泉」。夏の間は、この山荘で暮らしたい。

ただ、この家はろくにネットがつながらない。ケータイの通話さえ途絶えがちで、自分が世間から消息不明になってしまう。本田直之、高城剛のようなハイパーノマド生活は、ここでは無理だ。

今日、のこぎりで木を切っていて、「こういう森の仕事も悪くないな」と思った。が、直径15センチの枯れ木で息を切らしているようでは、林業者にもなれない。

引っ越した翌日には仕事ができるサラリーマンは、ある意味幸せだ。住処を先に決めてしまった私は、車で30分かけて、麓の町のハローワークに通勤するかも知れない。


2015年10月4日

日曜日の朝に


 快晴の日曜日、首から募金箱をぶら下げてショッピングモールに立った。

 よく街角で見かける「赤い羽根共同募金」というやつだ。

 NPOの会合に出席した時、募金活動に誘われ、断る理由が見つからなかった。こういう時、ヒマな失業者は逃げ場がない。

結局、2時間立ちっぱなしで声を枯らす羽目になった。

 実は、街頭募金という行為はとても苦手。通行人として、素直におカネを入れたことがない。

自分の金が何に使われるのか、はっきりわからないのがイヤ。募金箱を持って近づいてくる人も、時に胡散臭い。

 「赤い羽根」を胸に着ける意味も、よくわからない。自分は募金をしたという免罪符に見える。お金を入れない人への差別だ。

 汗水たらして稼いだ、自分の金だ。私はケチなので、寄付はよくよく考えてからする。

いくつかの人道援助や教育関係の団体に、毎月クレジットカードで寄付している。それらはみな、アフガニスタンや東ティモールなどに行き、実地で活動を見てきた組織ばかり。先日はそのNGOが、アフガン北部の病院で米軍の誤爆に遭い、スタッフが命を落とした。

収支報告書を見て、寄付の何割が経費に使われ、実際に援助に回っているのは何割かをチェックするのも大切だ。

 自分自身が疑い深い人間なので、募金を呼びかける側に立っても身が入らない。明後日の方角を見ながら、小声で「お願いしま~す」と連呼する。

 誰も来なくてもよかったのだが、実際は、お金を入れる人が予想以上にいた。

 一番多かったのは、幼い我が子に親がお金を握らせ、募金箱に入れさせるパターン。自分で寄付するのは気恥ずかしいのか、子供をダシに使っている。

 「たとえ親の言いつけでも、知らないおじさんにおカネを渡しちゃいけないよ。大きくなったら、ちゃんと自分で考えてね」と、内心つぶやく。

 おばちゃんたちも、結構入れてくれる。

 たまにおっさんも入れてくれる。赤い羽根を渡そうとしても受け取らず、怒ったように去っていく。その気持ち、よくわかる。

 若いカップルには、100%、完全無視される。

君たちは正しい。日本の未来は明るい。

後で聞くと、私の所属NPOは、日頃お世話になっている社会福祉協議会の要請で、毎年参加しているという。募金箱を持って立つ人は、「赤い羽根」ではしがらみ、付き合いが多いのだ。
集まった金は、地元で保育園の遊具設置や福祉車両の購入などに使われるらしい。今後街で見かけたら、動員された人を慰労する意味で、少額を寄付する、かも知れない。


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...