2025年12月19日

専業パパの告白

 

職場の忘年会に、産休明けのナギサさんが顔を出した。

胸に抱く赤ちゃんは、4か月にして体重8キロ。おっぱいをたくさん飲み、ナギサさん自身はいくら食べても痩せてしまうそう。母は大変だ。

出産には、ダンナが立ち会った。

「分娩室の壁や天井に血が飛び散って、夫は、てっきり私が死ぬんじゃないかと思ったみたい」 

朗らかに話す、ナギサさん。

もし自分が立ち会っていたら、卒倒して廊下につまみ出されていたかも…

話を聞いただけで、クラっと来た。

わが子の誕生に父親が立ち会うことは、とても大切だとは思う。

でも小心者の男は、できれば立ち会いを免除して欲しい。

 

前の会社の同僚クリコさんが、一家4人で近所に引っ越してきた。

クリコさんは台湾の男性と結婚し、夫の国で2児をもうけた。さすがはジェンダー平等の国、当たり前のように立会い出産だったようだ。

夫のシャンさん、度胸あるなぁ。

今回、妻の国日本に移住したクリコ一家は、夫婦の役割を交代。妻が外で働き、夫が家事や育児を引き受けている。

歩き始めて一時も目が離せない次男(2)を見守りながら、弟に主役の座を奪われた長男(5)の気持ちにも、そっと寄り添う。

シャンさんはこの難事を、とても自然体でこなしている。

そしてイクメン・シャンさんは、恋愛ドラマの主役を張れそうなイケメンだ。自ら、「ぼくの取り柄は顔だけだよ…」と言うそうだ。

でも彼が facebook に寄せた文を読めば、そんじょそこらのイケメンじゃないことがわかる。

人として深みのある、イケメン。

facebook に寄せられるポストの中でもひと際目立つ、真剣勝負の彼の投稿を紹介します(原文は中国語・繁体字)。

クリコさん、あなた男を見る目があるね~ 

ただの面食いじゃないんだね~

 

育児はまさに修行~専業パパの本音告白

 最初はただ単純に「育児休業には補助金があるし、取らないともったいない」という気持ちで、会社に半年の育休を申請しました(職業的な燃え尽きもあったのですが)。

ところが専業育児の世界に足を踏み入れてみて、これは仕事というより、徹底した心の修行だと痛感することに……

親になって、というより「主要な育児者」になってはじめて、「見なければ心乱れず」という言葉の深い意味を思い知りました。

以前の私は、「育児にも積極的に参加している、標準以上の優良パパ/夫」だと思い込んでいました。

ところが、専業育児を始めて気づいたのは、自分は結局ちょっとだけよく手伝う、そえもの系パパに過ぎなかったということ。

あの「距離があるからこその気楽さ」は、今思えば最高レベルの贅沢であり、無知でした。

当時は、子どもの衣食住のほとんどを妻が担い、私は単発タスクと週末の楽しい時間だけ担当。

それで「週末なら一人で子ども二人を丸一日見れるし、俺は仕事も家庭もいける男だ」と満足していたのです。

でも、平日の月〜金を継続して見るのと、週末の12日だけを根性で乗り切るのとでは天地の差!

12日だけなら、ご褒美モードでやれる(たくさん遊ばせたり、ジャンク食べたり、生活リズム無視したり、未来の自分から前借りする運用)。

でも平日はそうはいかない。買い物、料理、登園・降園、食事、睡眠、全部きちんとこなす必要がある。

役割が入れ替わって主要な育児者になって、ようやく分かりました。

主要な養育者が抱える精神的負荷、閉塞感、縛られた感覚は、「仕事から帰ってきて子どもを抱っこするだけ」のあの軽さとはまったくの別次元なんですよね。

専業育児の難しさは、社会に大幅に過小評価されている

「専業で子どもを見る」と聞くと、たしかに難しくなさそうに聞こえる。

タスクもシンプル:食べさせる、おむつ替え、寝かしつけ、遊ぶ。

でも、この仕事が難しい本質は、

《コントロール不能》と《絶対的な拘束性》にあります。

拘束感:

時間は完全に細切れ。10分連続で確保できない。トイレの自由すらない(職場でスマホ見ながらトイレしてた頃が懐かしい)。ましてや「自分時間」なんて存在しない。

感情のブラックホール:

幼児の感情は読めず、24時間ずっと「受け止め、ほぐし、切り替え」をし続ける必要がある。理性の糸が何度もちぎれてはつなぎ直され、メンタルが削られる。

低い達成感:

一日で床を10回掃除してもすぐ散らかる。

力を込めて作ったごはんも、子どもは大量に残す。

この仕事には「見える成果」や「報酬」がほとんどない。

だからこそつらい。価値を数字にしにくいから。

その反動で私はデイトレに手を出し、1週間でやめました(笑)。

稼げないどころか育児にも集中できず、本末転倒。早めに気づいて本当に良かった

一見シンプルなタスクでも、相手が小さな子どもになった瞬間、難易度は「簡単」からいきなり「地獄」へランクアップします。

専業主婦/主夫の大変さは、社会に本当に過小評価されており、サポートも十分ではありません。

怨み節から、楽しめる育児へ

最初はネガティブな気持ちが多く、情緒も不安定でした(長く家計を支える側として生きてきたので)。

自己否定:

「自分って無能?日本に来たら稼げなくなるの?」

拘束と孤独:

自由にできる時間はゼロ。子どもとにらめっこ。寝たときだけが唯一の休息(ただし自分が一緒に寝落ちしないことが条件)。

落胆スパイラル:

子どものコントロール不能さに怒ってしまい、その後、自己嫌悪と後悔のループ。

それでも、格闘し続ける中で、少しずつプラスの面も見えてきました。

つながりの強化:

以前はママにしかできなかったことが、今は父である私も普通にできるように。

子どもが私に甘えたり、私だけがすぐ寝かしつけられたり、その特別な絆は言葉にならない。

歩みをゆるめる時間:

子どものゆっくりしたペースに合わせるうちに、僕自身も立ち止まり、「人生の優先順位」や「本当に大事な価値観」を考えるようになった。

心を鍛える修行:

育児は超硬度の砥石のように、ずっと私の忍耐と気性を削り続ける。

自分の限界を知り、崩壊寸前をどう歩くかを学んだ。

子どもがいるからこそ気づく——自分って意外と包容力ある(麻痺してる?)んだな、と。

予想外の副産物:

料理スキルが爆上がり。しかも安定して出し続ける必要がある。

台湾にいた頃なら絶対に起きなかった進化。

次のステップは?

弟はあと1年で幼稚園。

子どもたちが園に通い出したら、私は自分のキャリアと人生を再構築する必要があります。

この深く、そして人生で一度きりの「専業育児の修行」を経て、

自分が本気で打ち込みたい、情熱と意味を感じられる仕事を探したいと思うようになりました。

この修行は、私に自分自身を知る力を与え、家族をもっと愛せるようにし、

そして「自分にとって本当に大切なもの」をはっきりさせてくれました。

もし「専業育児が私に何をくれたのか?」と問われたら、こう言うと思います。

——人生の終わりや、子どもが巣立つ日になっても、

『子どもの幼少期に寄り添えた』と胸を張って言えること。

後悔なく、笑って手を離せること。

それこそが、専業育児がくれた最大の贈り物です

Tokyo Ginza, 2025


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