2024年11月29日

マルハラ、リモハラ、セクハラ

 

「マルハラ」

メッセージの文末にマル(句点)をつけるのは、ハラスメントに当たる

→文末にマルがあると、相手が怒っているような気がするから

「リモハラ」

→リモートハラスメント。新型コロナウイルス禍の在宅ワーク中、会社にずっとPCのカメラオンを指示されたり、オンライン飲み会を強要されたりしたことに由来

…マルハラ? そんなハラスメントあったんか。知らんかった~

元々、SNSのメッセージには句点をつけていない。単に面倒くさいだけだが、それで正解だったのね。

 

相手が嫌がらなければ、セクハラではないのか?

「ビジネス倫理学」が専門の杉本俊介・慶応義塾大学商学部准教授が、この問いに明快に答えている(以下、日経ビジネス電子版の同氏インタビューより)。

・何がハラスメントで、何がそうでないのか。「相手が嫌だと思うことはしない」というのが基本的理解だとしたら、相手が嫌だと思わなければいいのか?

・そうなると、ハラスメントは相手次第という結論になってしまう。同じ行為でも、嫌がる人もいれば嫌がらない人もいる

・倫理学者イマヌエル・カントの「義務論」では、相手を手段として扱わず目的として扱うべきで、相手を目的として扱うとは、相手の人格を尊重するということだという

・奴隷制時代の米国で、奴隷として働かされた人たちがその環境に慣れて、誰もが嫌だと思っていないと仮定する。たとえ嫌がっていなくても、人を奴隷として働かせることはやってはいけない。なぜなら、奴隷制は人を単に手段としてのみ扱う制度だから

・「なぜハラスメントは不正なのか」と考えるのが倫理学的な思考。義務論では、相手が傷つくかどうかではなく、人としてやってはいけない行為だから、ハラスメントは不正だと考える

・パワハラも部下の人格を尊重せず、もっぱら手段としてだけ扱っている。そういう行為は、人としてやってはいけないから不正

・セクハラをしてはいけない理由として、「差別になるから」という考え方も重要。多くの場合、セクハラは男性から女性に向けられるから、女性という集団全体を貶(おとし)めている側面がある

・たとえ個人が同意したとしても、属している集団全体への苦しみにつながるから、セクハラは良くないことと説明できる

・会社や社会の中には、私たちが見過ごしている、気づけずにいる不正がまだまだある。それを放置しないためにも、行為の根拠までさかのぼって不正かどうかを考える倫理学的な思考が必要

Varanasi India, 2024



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