ほんの出来心で、いま心理系大学院を目指している。でも受験勉強にも飽きて、町に出て本を10冊、衝動買いした。
「流出する日本人」「世界は経営でできている」「日ソ戦争」「愛着障害と複雑系PTSD」…ノンフィクション系が多いが、ジャンルはバラバラだ。こんな乱読じゃイカンなぁ、と思っていたら、ネットにこんな記事があった。
「無節操なインプットが強力な『知的戦闘力』を生む」
自分にとって都合のいい話は、すぐ目に入ってくる。これを心理学用語で「知覚的鋭敏化」というらしい。
以下、記事の一部を紹介します(日経ビジネス電子版「知的戦闘力を高める独学の技法』の著者、山口周氏インタビューより)。
・人生全体で見れば、アウトプットの量とインプットの量は同じ。インプットせずにアウトプットしていれば、どこかで枯れてしまう
・アウトプットがぱったりと枯れてしまう人がいる一方で、長期間にわたってアウトプットの質・量を維持できる人(斎藤孝氏や内田樹氏など)がいるのは、人生のどこかでインプットし続けている時期があるから
・アウトプットが一時的にウケて、次々と仕事が舞い込んだ状況でインプットのために勉強するのは機会費用が大きい。その時間を執筆や講演に使えばお金になるのに、インプットのための勉強はお金を生まないから
・機会費用を小さくするには、まだ誰からも「本を書いてほしい」「アドバイスをしてほしい」「手伝ってほしい」といわれていない時期、時間が腐るほどあるという時期に、思いきりインプットする
・そして「アウトプットが必要になったとき」というのは、もう「舞台に立て」といわれているわけだから、そこで勉強をしているようでは、どうしても付け焼き刃的な知識の表面的なインプットにならざるを得ない
・他者からアウトプットを求められる時にその人らしいユニークな知的アウトプットを生み出せるかどうかは、無節操なインプットの蓄積による。若いときの無目的で無節操な勉強こそ、継続的に知的生産力を維持するためには重要
・でも「心地良いインプット」には要注意。「共感できる」「賛成できる」ような心地よいインプットばかり積み重ねると、同質性の高い意見や論考ばかりに触れることになり、知的ストックが極端にかたよって独善に陥る
・どんなに知的水準の高い人でも「似たような意見や志向」を持った人たちが集まると、知的生産のクオリティは低下してしまう。多様な意見のぶつかり合いによる認知的な不協和が、クオリティの高い意思決定につながる。これは個人の知的ストックにおいても同様
・キャリアカウンセリングをする際、「好きなもの」よりも「嫌いなもの」を聞いた方が、その人のパーソナリティの深い部分に入り込めることが多い。本を読んで強い反感や嫌悪感を覚えたときは、そこをメモしておこう。後でいろいろな気づきにつながることになる
The Notting Hill Bookshop, London 2024 |
0 件のコメント:
コメントを投稿