緩和ケア病棟で働き始めてしばらくの間、患者さんはみな70~90歳代だった。
最近、出勤してナースステーションのボードを確認すると、50代の患者さんも見かける。
自分より年若い患者さんを看取った日は、どうしても「不条理」とか、「理不尽」とかいった感情が残る。
C子さんも、まだ50代前半。手編みの帽子を目深にかぶり、やせた顔の中で目だけが大きく光っている。
残暑が和らいだ日の午後、C子さんを車いすに乗せてハーブガーデンを散歩した。遠く八ヶ岳連峰がぜんぶ見える、素晴らしい秋晴れだ。
C子さんは、ちょっとこの地方にない珍しい名字を持っていた。離婚して、別れた夫の名字をそのまま名乗っているとのこと。息子がひとり。
「ミヤサカさんは、ご家族は?」
と聞かれたので、3年前に妻と死別したことを話した。
(微妙な話題だが、患者さんに聞かれれば隠さず話している。時にはその場が、妻が最期の日々を送った507号室だったりもするが…それは言わない)
「そう、3年前…」
C子さんはしばらく黙っていたが、さらに妻のことを聞きたがった。
私「妻がキッチンに立てなくなってから、3食ぼくが作ったんですよ。そうしたら『間違っても、あなたの手料理をお客さんには出してくれるな』と言われちゃって。よっぽど不味かったんだろうなぁ」
C子さん「…それは違うよ。きっと奥さん、ミヤサカさんの手料理は自分だけに作って欲しかったんだよ!」
逆に励まされた。
うーん…そういう考え方もあるのか…きっと違うと思うけど…
わが病院が誇る緩和ケア専門医&看護師チームが、彼女の痛みを完璧に取り除いたようだ。C子さんは、
「ここは楽しい。とても自分が入院しているとは思えない。病院じゃないどこかにいるような、不思議な気持ち」
と言ってくれた。
ある日、明後日退院する、とC子さんがいう。
体も心も、十分に休めることができた。新しい治療を始める意欲が湧いたから、別の病院に移る、と。
お看取りが多いこの病棟で、この人は生きるために退院していく。
退院当日は非番なので、夕方、サヨナラを言いに病室を訪ねた。
C子さんはいつもの帽子をかぶって、気持ちよさそうに寝ていた。