2023年10月26日

ハーブガーデンにて

緩和ケア病棟で働き始めてしばらくの間、患者さんはみな7090歳代だった。

最近、出勤してナースステーションのボードを確認すると、50代の患者さんも見かける。

自分より年若い患者さんを看取った日は、どうしても「不条理」とか、「理不尽」とかいった感情が残る。

 

C子さんも、まだ50代前半。手編みの帽子を目深にかぶり、やせた顔の中で目だけが大きく光っている。

残暑が和らいだ日の午後、C子さんを車いすに乗せてハーブガーデンを散歩した。遠く八ヶ岳連峰がぜんぶ見える、素晴らしい秋晴れだ。

C子さんは、ちょっとこの地方にない珍しい名字を持っていた。離婚して、別れた夫の名字をそのまま名乗っているとのこと。息子がひとり。

「ミヤサカさんは、ご家族は?」

と聞かれたので、3年前に妻と死別したことを話した。

(微妙な話題だが、患者さんに聞かれれば隠さず話している。時にはその場が、妻が最期の日々を送った507号室だったりもするが…それは言わない)

「そう、3年前…」

C子さんはしばらく黙っていたが、さらに妻のことを聞きたがった。

私「妻がキッチンに立てなくなってから、3食ぼくが作ったんですよ。そうしたら『間違っても、あなたの手料理をお客さんには出してくれるな』と言われちゃって。よっぽど不味かったんだろうなぁ」

C子さん「…それは違うよ。きっと奥さん、ミヤサカさんの手料理は自分だけに作って欲しかったんだよ!」

逆に励まされた。

うーん…そういう考え方もあるのか…きっと違うと思うけど…

わが病院が誇る緩和ケア専門医&看護師チームが、彼女の痛みを完璧に取り除いたようだ。C子さんは、

「ここは楽しい。とても自分が入院しているとは思えない。病院じゃないどこかにいるような、不思議な気持ち」

と言ってくれた。

ある日、明後日退院する、とC子さんがいう。

体も心も、十分に休めることができた。新しい治療を始める意欲が湧いたから、別の病院に移る、と。

お看取りが多いこの病棟で、この人は生きるために退院していく。

退院当日は非番なので、夕方、サヨナラを言いに病室を訪ねた。

C子さんはいつもの帽子をかぶって、気持ちよさそうに寝ていた。 



2023年10月19日

優しきヤンキー・ナース

 

細身のナースYさんが、患者さんをベッドごと病室から出そうと格闘している。

その枕元には、黒光りする重い酸素ボンベが。

ナースYさんを手伝って、ベッドを押した。廊下を通って屋上庭園に出ると、いきなり真っ青な秋空が広がる。遠く、霧ケ峰の優しい稜線も見えた。

「わぁ気持ちいい! 外の空気を吸うのは久しぶり!」

ベッド上で、顔半分を酸素マスクに覆われたK子さんの目元がほころんだ。

 

その朝も、ふたりがかりでK子さんをレントゲン室に運んでいた。

病室を出る時、ナースYさんが酸素ボンベをセットして、ダイヤルを無造作にMAXまで回した。

内心げっ…となった。

K子さんは、かなり容態が悪いということだ。何かのトラブルで酸素を絶たれたら、1時間も生きられないだろう。

レントゲン検査は30分で終わったが、病室に戻った時、酸素ボンベは空になっていた。

 

K子さんの担当看護師、ナースYさんは、ちょっとヤンキーなヤンママだ。

かわいい2歳の娘を育てながら働く。

「今日は501号(室の患者)をフロに入れなきゃなー!」

乱暴なものの言い方。ナースステーションから廊下にまで聞こえそうな、野太い声。

あまり白衣の天使っぽくはない。

 

朝礼の時、夜勤明けのナースがこんな申し送りをしていた。

「巡回の時、K子さんに『壁のカレンダーをもっと見やすい位置にして』と頼まれました。『私にはカレンダーしか見るものがないから…』って」

酸素のチューブにつながれて動けないK子さん、カレンダーの風景写真だけが慰めなのだ。

屋上庭園を満喫して病室に戻ったK子さんは、「ありがとう」「ありがとう」と何度も繰り返していた。

 

病状の重い患者さんの気分を少しでも変えようと、重いベッドごと屋上庭園に連れ出すナースは、顔ぶれが決まっている。

揃って、ちょっとコワモテのナースたち。

人の内面のやさしさは、見かけでは測れない。


 ※緩和ケア病棟のナースは、16人全員が女性。私の観察では、不愛想なおじいちゃんより、可愛いげのあるおばあちゃん患者の方が、明らかにケアが手厚い。自分がお世話になる日に備えて「可愛いおじいちゃん」を目指そうと思った。



2023年10月14日

多国籍高校生

 

「明日バーベキューやるから来ない? フランスの女子高生も来るよ」

ご近所さんから、LINEでお誘いが。

やばっ! 子どもの頃フランスにいたのに、ちっともフランス語を話せないのがバレる。

…それでも誘惑には勝てずに、ノコノコと出掛けて行った。

 

すらりとした長身、金髪、よく笑う16歳のアメリさん。

よくよく聞いてみると、「フランスの女子高生」とひと言ではくくれない、かなりユニークな生い立ちの人だった。

お父さんはフランス人。

お母さんはチェコ人。

一家4人でドイツに暮らす。

その自宅はフランス国境にほど近く、彼女が通っている高校の授業はドイツ語とフランス語のバイリンガルで行われる。

放課後、家に帰れば、お父さんとフランス語、お母さんとはチェコ語で話す。

そして家族全員が揃った夕食の席では、共通語としてドイツ語を使う。

私「な、なんてフクザツな!」

ア「そう、私も時々混乱します。自分はいま何語を話してるんだろう?って」

当然のように、アメリさんは英語も流ちょうに話す。

これから1年間、交換留学生として愛知県の高校に通うアメリさん。すぐ日本語も話せるようになるのだろう。

アニメ好きなアメリさんは、留学先に日本を選んだ。

お兄さんはコスタリカに留学中だという。

グローバル家族!

 

フランスとドイツは、78年前まで戦争をしていた。

1992年にEU(ヨーロッパ連合)諸国が統合。

フランス・ドイツ間の国境も開かれて、人の往来が自由になった。

いまフランスとドイツが戦うのは、もっぱらサッカースタジアム内限定だ。

これから国境をまたいだ人の往来がますます盛んになり、アメリさんのように多彩なルーツを持つ人が地球規模で増えれば…

そのうちこの世界から戦争がなくなる、かも知れない。

 

アメリさんはフランス人だが、実はドイツ人でもある。

仏独2つのパスポートを持っているという。

Pokhara Nepal, 2023


2023年10月6日

ポカラの旅行代理店

 

この春、ネパールを旅した時のこと。

ポカラからカトマンズに戻るために、ネットで飛行機を探した。

イエティ航空が時間帯も便利で、料金も安い。

待てよ。イエティ航空はつい2か月前、同じカトマンズ~ポカラ間で墜落事故を起こしている。

でも、落ちたばかりのエアラインは性根を入れ替えるから、かえって安全ともいう。今回はこの説を採用しよう。

ところが、イエティ航空の予約画面で延々と個人情報を入力し、やっとたどり着いたクレジットカード決済ページで、何度やってもエラーになる。

どうやら海外発行のカードは受け付けないらしい。やれやれ。早く言ってよ。

ネット予約をあきらめて、財布を持ってポカラの街に出た。

 

小さな旅行代理店を見つけて入ると、女性オーナーのGitaさんが、さっそく端末を叩いてくれた。

「最近みんな旅行の手配をネットでやっちゃうからヒマでヒマで……あなたはどこから来たの?」「日本です」

いきなり手が止まった。

「まぁ! 私の息子が軽井沢の高校に留学してたのよ! 夫と一緒に卒業式に出てきたばかりなの」

そして再び、すごい勢いでキーボードをたたき始めた。

やがて画面に現れたのは、「新緑の軽井沢をバックに、サリーを着て満面の笑顔のGitaさん」「東京の観光名所で笑顔のGitaさん」「京都の神社仏閣で笑顔の…」

その時の写真を何十枚も見せられた。

「日本は本当にすばらしい国。ネパールが追いつくには100年かかるわね」

軽井沢の高校を出た愛息は、現在アメリカの大学で学んでいるという。

Gitaさん一家の未来は明るいですね!」

と励ますと、やっと本来の業務に戻ってくれた。

私「あのー、やっぱり安全を考えたら、ブッダ・エアやシュリー・エアの方がいいでしょうか…」

Gita「ネパールのエアラインなんて、どこも同じよ!」

 

数日後、「落ちたばかりのエアラインはかえって安全」仮説は見事に証明され、何ごともなくカトマンズに到着した。空港からタクシーで市内に向かっていると、ケータイが鳴った。

「ハロー? Gitaです。今どこ? 無事に着いたの?」

安否確認のサービス付き…⁈

実は、かなり心配だったのね。

Pokhara Nepal, Spring 2023


自然学校で

  このところ、勤務先の自然学校に連日、首都圏の小中学校がやってくる。 先日、ある北関東の私立中の先生から「ウチの生徒、新 NISA の話になると目の色が変わります。実際に株式投資を始めた子もいますよ」という話を聞いた。 中学生から株式投資! 未成年でも証券口座を開けるん...