「やっぱり朝風呂はいいなぁ」
首まで湯につかって、Iさん(80代・男性)が気持ちよさそうに目を閉じた。
長嶋茂雄ばりに胸毛の濃いIさんは、お腹に開いた穴から、チューブが突き出ている。朝昼晩、缶入り経管栄養を、その穴から胃に流し込んでもらう。
1缶200カロリー。1日6缶。
何も食べられず、何も飲めず、これで命をつないで、もうすぐ6か月になる。
「自分の体で人体実験してるようなもんだ。我ながら、よくぞ生きてる。いや、生かされている」
Iさんは、生涯を児童福祉に捧げてきた人だ。
最初は、40人の子どもを預かる児童養護施設に、住み込みで働いていた。
「子どもたちを、もっと家庭的な環境で過ごさせたい」
奥さんと話し合ったIさんは、親から虐待を受けた子など6人を、自宅で預かり始めた。
といっても、里親になることが仕事になり、それで給料をもらえるわけではない。だから昼間は、不登校の子を預かる別の施設で働いたという。
時には子どもが家出して行方不明になり、警察沙汰になった。それでも、我が子3人も入れて総勢11人がテーブルを囲む夕食は、とても楽しかった。話が弾んで、気がつくといつも2時間が経っていた。
そうやってIさんが自宅で養育した子どもは、18年間で29人になる。
60代でリタイアしたIさんは、念願の信州に移住した。でもやっと訪れた夫婦水入らずの生活も、長くは続かなかった。3年ほどで奥さんを亡くしている。
Iさんは、夫妻ともにクリスチャン。子どもたち3人も、
「別に強制してないのに、みんな洗礼を受けたよ」と、嬉しそうだ。
最近、大学生の孫娘がIさんにインタビューして、半生を卒業論文に書いた。
「図らずも自伝代わりになったなぁ。でも照れくさくて、実はまだ読んでないんだよ」
夏が来て、Iさんは病棟の七夕飾りに
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも」
と書いて結んだ。遣唐使の一員として19歳で大陸に渡り、二度と帰れないまま異国で生涯を閉じた阿倍仲麻呂に、病気に囚われた自分の心境が重なるのだという。彼も奈良の出身だ。
「最近、食べものの夢ばかり見るんだ。といってもご馳走じゃなくて、お茶漬けとか、みそ汁とか。ハッと目覚めて夢だとわかるんだけど、でもその時は、食べものが喉を通る気がしてね」
「もし妻が生きて傍にいたら、お茶漬け持ってきて!と頼んだろうな」
Rolwaling valley, Nepal 2023 |
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