通りがかりに機械浴室をのぞくと、女性患者に服を着せようと、ナースのNさんが格闘している。
手伝いましょう、と浴室に入り、患者さんの体を支えた。
緩和ケア病棟は最近、重篤な患者が多い。一般病棟から移って来たばかりで、まだ名前も知らないこの人も、青白い顔で横たわり、微動だにしない。
鼻先に、そっと手を近づけてみた。
呼吸が…
止まってる?
「Nさん…」
慌てて目配せをしたら、彼女はいつも通りの静かな声で、
「エンジェルケアです」
亡くなった患者さんの湯灌(ゆかん)は、エンジェルケアとも呼ばれる。お風呂に入れて体を洗うまでの手順は、ふだんの入浴介助と変わらない。
途中で浴室に入ったから、まったく気づかなかった。
この緩和ケア病棟では毎月、何らかの行事が行われる。12月にクリスマス、1月は節分、そして2月のその日はバレンタイン。
栄養科の厨房で豪華なロールケーキを作ってもらい、各病室に配って回る。
あいにく、というか、ちょうどそのタイミングで、患者さんが2人続けて息を引き取った。
この病棟では、救命措置を行わない。医師や看護師が大慌てで走り回る姿もなければ、心電図の電子音や警報音も聞こえてこない。
誰かが亡くなったことに、廊下にいても気づかないぐらい。
静かそのもの。
まるで予定調和のようだ。
それでも、家族への連絡、死亡診断書ほか各種書類の作成、エンジェルケアなど一連の仕事に、ナースたちはかかりきりになる。
いつも行事の日は、日勤の看護師が総出で病室を練り歩き、患者さんを真ん中に集合写真を撮るのだが…
今日のナースステーションは、もぬけの殻。
若い看護師Hさんとふたりで、寂しくロールケーキを配って回った。
食事がとれる容体の患者さんは、口の周りに生クリームをくっつけて、一心にケーキをほおばっている。
壁ひとつ隔てた隣室で起きたことには、誰ひとり気づかずに…
Matsumoto city museum of art |
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