ミツルさん(70代・女性)は、いつ病室を訪ねても泰然としていた。
「痛みますか?」「どこも。なんで入院してるのか、わからないぐらい」「なにかご不便なことは?」「な~んにも。とにかくヒマ!」
ミツルさんの息子は、「ハルビン」という人気ラーメン店で働いている。どんどん店舗を増やしている最中で、忙しくて見舞いに来られない。
ミツルさん曰く、「ハルビンは本店はまぁまぁだけど、他はイマイチね。私は、近所の中華屋のあんかけ焼きそばが一番好き!」
そして彼女の娘は、蕎麦屋で働いているという。
親子そろって麺食いだ。
一度は退院したミツルさんが、年明けに再び入院してきた。
「またお世話になります…」
声が、とても弱々しい。ほどなく、傾眠がちになった。
訪れた娘さんに、病院でのミツルさんの淡々とした様子を伝えると、
「母は私たち家族にも、どこそこが痛いとは一切言わずに、最後までそんな態度を貫いていました。クリスマスと正月、わが家で過ごせてよかったです」
ヒロオさん(90代・男性)は、いつも本を読んでいた。
リンパ浮腫で両足が象のように腫れあがり、仰向けに寝たまま動けない。おむつを着け、床ずれ防止のために体の向きを変えてもらいながら、それでも黙々と、本を読む。
「戦艦大和~生還者たちの証言から」を読み終えると、次は「西遊記」全10巻、そして「昭和天皇の終戦史」。ずっと高校教師をしていたヒロオさん、命の時間が限られる中でも、知識欲は衰えない。その姿は鬼気迫るものだった。
それでも夜になると、巡回する看護師に「オレはもう死んだのか?」「朝になったら、死んでるのかな」と、不安を漏らしていたという。
ヒロオさんの奥様は、御年87。毎日自分でクルマを運転して、見舞いにやって来る。耳が遠いせいもあり、やたら声がでかい。
ある日、廊下で私を見つけると、指でバッテンを作って言った。
「おじいちゃん、とうとうダメみたい。先生があと数時間とおっしゃったけど、もう昼過ぎ、あとどのくらいかしらねぇ…この前、モロズミ仏壇にお葬式の相談に行ったら、教え子が500人も来るなら相当お金がかかるって…ミヤサカさん、長野日報は取ってらっしゃる?訃報が載るから読んで下さいよ!」
おばあちゃん!そんな大声で。
本人に聞こえますよ。
ミツルさんとヒロオさんは、その夜、ふたり続けて旅立っていった。
「おふたりとも、最期はとても穏やかでした…」
朝礼で報告した夜勤明けナースのHさんが、疲れと安堵をにじませていた。