急性期病棟から移って来たばかりの患者さん(70代男性)が、その翌日に亡くなった。
「そんなにがんばらなくてもよかったのにね…」
先輩の看護師さんが、つぶやく。
ここ緩和ケア病棟は、末期がんなどの人が積極的な治療をせず、痛みをコントロールしてもらいながら、残りの人生を豊かに過ごすための場だ。
その一方で、この患者さんのように、命が尽きるギリギリまで病気と闘う人もいる。
もし自分が彼と同じ立場だったら、果たしてどちらを選ぶのだろう。
「死にゆくあなたへ」 アナ・アランチス著 飛鳥新社
イギリスの経済紙「エコノミスト」の調査で、「死を迎える環境が最悪の国」第3位にランクされたブラジル。その首都サンパウロで緩和ケア医として働く著者は、さまざまに思索する。
(ちなみに1位はウガンダ、2位はインド)
・人生に多くの選択肢があった人ほど、死を前にすると後悔の波に飲まれやすい。貧しく、生き抜くというただひとつの選択肢しかなかった人は、逆境の中でも最善を尽くしてきたという揺るぎない自信を持って最期を迎える
・ホスピスは2人部屋なので、患者が死を迎えた時、同室の人はそれを目の当たりにして、もうすぐ自分の番だと悟る。痛ましいようにも思えるが、隣の人の死を経験すると、死の瞬間は平和だという意識が生じる
・それまで多くの人を助けてきた人が、病院で独りぼっちになるのは珍しいことではない。結局その人がしてきた人助けは、どれも自分が安心するためのもので、他者との良い関係を築けていなかったということ
・誰かのために何かをする時はいつも、その人の幸せのためと信じているが、同時に自分の存在をその人の人生に投影したいという気持ちもある
・でも、他人の人生で重要な存在になるために自分の人生の時間を使うのは、歪んだ選択。自分が自分でいること、それを愛してくれる人がいれば、それこそが完全な幸せではないか
・誕生と死を分けるのは時間。人生とは、限られた時間の中での経験。1日が終わるのを待ち望み、週末や休暇が来るのを待ち望み、定年退職を待ち望むことは、「死」が早くやってくるよう望んでいることでもある
・まわりを見渡せば、“自分は永遠に生きる”と思っている人がたくさんいる。その幻想ゆえに、人は無責任で怠惰な人生を送る
・死とは、私たちが死ぬその瞬間に訪れるものではない。意識的に生きていなければ、日々死んでいるのと同じ
Aomori Japan, Autumn 2022 |
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