緩和ケア病棟の患者さんは地元の人が多いが、中には首都圏からの移住組もいる。
同じよそ者同士、何となくウマが合う。
K子さんは、95歳にして頭脳明晰。彼女の病室をのぞくと、いつもスマホでLINEのやりとりをしている。
90歳になるまで、自分でクルマを運転していたという。
K子さんは夫を見送った後、しばらく東京西郊で長男一家と同居していた。新宿で生まれ育った彼女にとって、その町は「な~んにもない田舎」。
数年前、ついに家を出て、それまで夏を過ごしていた八ヶ岳山麓の別荘で、ひとり暮らしを始めたのだという。
ある日、病院食の薄味に飽きた彼女が「Tスーパーのイカの塩辛が食べたい」という。昼休みにクルマを飛ばして、都会的な品ぞろえのTスーパーを往復し、小鉢に塩辛を盛って差し出した。
「…これ明太子の味しない? 私が言ったのと、ちょっと違うのよね」
いつもお洒落なTシャツを着たY子さんの病室のベッド脇には、分厚い「会社四季報」が鎮座している。
株式投資をするんですか?と聞くと、
「個室に入ってることだし、入院費用ぐらい稼がないとね」
Y子さん夫妻が首都圏から移住してきたのは、20年前。きっかけは、ご主人が「会社を辞めて、自転車で日本一周したい」と言い出したこと。その背中を、Y子さんはドンと押した。
「でも出発した日の夜、公園で野宿中に所持金を全部盗まれちゃったの。彼は人を疑うことを知らないから」
そして移り住んだ標高900mの自宅からは、富士山と八ヶ岳、南アルプスが一望できるという。
時おりパジャマ姿のご主人が、点滴棒をガラガラ引っ張って見舞いに訪れる。彼もまた、病気で下の階に入院中なのだ。
「次はクルマで一緒に日本一周しようと言ってたのに、ふたりとも病気になっちゃって…」
Y子さん夫婦に、子どもはいない。
週末を挟んで、久しぶりに病棟に出勤。先週まで一緒に風呂に入り、背中を流した元板前の男性患者が旅立ったことを知る。彼を含めて3つの部屋の主が、いなくなっていた。
患者さんにお茶を淹れるためラウンジに入ると、「投資家」Y子さんの若い主治医が、テーブルを挟んでご主人と向き合っている。
「この前、Y子さんに残された時間はあとひと月、と申し上げましたが……今のご様子では今週中、という事もあり得ます……」
緩和ケア病棟では、患者さんの病状が、たった1日でがらりと変わる。
K子さんが所望するイカの塩辛のリベンジ、急がないと。
Itoman, Okinawa |