「人間の土地へ」 小松由佳著 集英社インターナショナル
K2はパキスタンにある世界第2の高峰で、遭難の多さから“非情の山”と呼ばれている。著者は日本女性として初めて、そのK2登頂に成功した人だ。
登山の2年後、26歳の著者はユーラシア大陸横断の旅に出る。そしてシリアの砂漠で、ラクダと共に暮らす青年ラドワンと出会い、恋に落ちた。
この本は「シリア内戦を内側から描くノンフィクション」と紹介されるが、私にはラドワンと送る結婚生活のくだりが、とりわけ面白かった。
田舎に暮らす著者の両親は、娘の彼氏が「イスラム教徒のアラブ人」と聞いて、即テロリストを連想した。そして、我が娘もテロリストになるのではないかという「壮大な妄想」を抱き、結婚に猛反対。ついに父親は、
「娘はいなかったものと思うから、お前も親はいなかったものと思え」
と言い渡す。
それでも著者は、内戦の激化で故郷を追われ、難民となってヨルダンに逃れたラドワンと、現地で結婚式を挙げる。
「ラドワンと生きるなら、一生苦労が絶えないだろう。だがそれで良かった。むしろ、予測不可能な苦労がつきまとうことに痺れるような喜びを感じた」
結婚する際、妻もイスラム教徒になることが求められた。「新しい価値観を知りたいという好奇心」から、著者は改宗の儀式に臨み、イスラム教徒になる。
混乱が続くシリアでの生活を諦めた2人は、日本で暮らすことを決意する。だが大家族に生まれ育った夫は、移り住んだ日本でホームシックにかかってしまう。著者が仕事を終えて帰宅すると、彼は「放心状態に陥っていた」。
砂漠で自給自足の生活を送り、「家族や友人とのゆとりの時間こそが人生の価値」だった夫は、「現金がなければ生活が維持できず、生活を維持するために毎日働かねばならない」という現実に戸惑っていた。
履歴書の “過去の仕事欄” に「ラクダの放牧」「日干しレンガ積み」と書く彼にとって、「効率」や「完璧さ」は初めて聞く概念だった。職場で雇い主から注意されても、彼は「何を怒られているのかさえ理解できなかった」。
夫は、難民キャンプで飢えに直面していた頃より痩せてしまったという。
共働きなのに、彼は家事も育児もノータッチ。夫婦で協力するという発想すらない。幾度となく口論になった。
彼が著者に期待したのは、シリア人の妻のように毎日家にいて、丁寧に掃除、洗濯、育児をし、帰宅したらすぐ、美味しい食事を用意してくれること。
「私はシリア人の基準でいえば、完全にダメな妻なのだ」
そして、著者は悟りを開く。
「私はことあるごとに、ラドワンが “砂漠の人” だと捉えることで、悶々とした思いを払拭するに至った」
登山家から写真家に転身した著者は、幼い我が子を背負って、シリア難民の現地取材に駆け回っている。
Matsumoto Japan, February 2021 |
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