2019年2月9日

ときどきフォトグラファー


 久しぶりに、写真の仕事が舞い込んだ。

 クライアントは、米ハワイ州の博物館。日米戦争期に活躍した日本人外交官ゆかりの記念館の展示を、特別展用に撮影して欲しいという。

「動くものじゃなくてよかったね」とは、妻の感想。

 確かに。スポーツ写真は前から苦手だが、もはやサッカーはおろか、的が大きくて動きが鈍い大相撲さえ撮る自信がない(←おすもうさんごめんなさい。比較の話です)。

 レンズにカビが生えてないか、ドキドキしながらカメラバッグを点検する。カメラやストロボのバッテリーが空になっていて、あわてて充電する。

 服装にも悩んだ。

どうすれば、それらしく見えるか。

 新聞のカメラマンとして東京で働いていた時は、出社してまず某テレビ局に行き、きれいな女優さんのインタビュー取材。のちに広尾に移動して、おしゃれなフレンチ・レストランで料理写真の撮影。ついでに試食もさせて頂く。

 午後、会社に戻るといきなり「発生もの」が起き、火事や殺人や犯人護送や強制捜査の現場に急行した。

 そんな具合なので、服装は汚れることを前提にした、ラフなものだった。

 今回は、もう火事現場に転戦する必要はない。失礼のないように、白いシャツにきちんとアイロンをかけて着ていこう。

 実はこういう事もあろうかと、フォトグラファーの名刺も作ってある。

 さて、いよいよ当日。現場に着くと、セールス&マーケティング担当者と一緒に、上司の部長まではるばるハワイから来ていた。任務の重さにたじろぐ。でもさすがは?昔取った杵柄で、いざ仕事を始めると、手が勝手に動いた。

 無事に撮影が終わり、お茶とお菓子が出された。以前はそそくさと退散していたが、もう火事に行く必要はないのだ。ゆったりと同席させて頂いた。

お茶を勧める白髪の老婦人は、亡くなった外交官の娘さんだ。記念館も、もとは外交官一家の別荘として建てられたもの。森閑とした伊豆の山中で、ちょうど咲き始めた梅を愛でながら、優雅なひとときを味わった。

 アメリカの方々も、羊羹をおいしそうに食べていた。

 相場がわからないから、事前にギャラの交渉をしていなかった。部長の女性が、かわいいポチ袋をおずおずと差し出したので、思わず笑ってしまった。メイドインUSAのチョコレートも、土産に頂いた。

別れ際に「ハワイでの暮らしはどうですか。楽園のよう?」と聞いてみた。

しばらく考えてから、「観光でいらっしゃるのが一番でしょうね」

 物価が高い上に治安にも難があり、せっかく憧れてハワイに移住しても、その後引き揚げていく人が多いそうだ。

 では「観光客として」ハワイに行きます、と言って、再会を約束した。



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