インド洋大地震の震源地、スマトラ島バンダアチェに出張した時のこと。首都ジャカルタに1泊し、翌朝タクシーで空港に向かった。
歯ブラシを忘れないよう気を取られるあまり、パスポートと航空券、現金をホテルに忘れてきたことに気づいた。「運転手さん、すぐに戻って!」
ところが彼、なかなかUターンしない。ゆっくり減速しながら、バックミラーでこちらを伺っている。
「旦那、もうすぐ空港に着くんですよ。いま戻るなら、料金を2倍頂かないと」
ウソつけ!でも抵抗できない・・・わかりました、払いますよ!
急いで戻った部屋のセーフティボックスに、幸い貴重品がそのまま残っていた。すかさず取って返したが、飛行機に乗り遅れた。でも1日2便しかないバンダアチェ行の2便めが、すぐ1時間後に出発するという。奇跡だ。
忘れ物といえば、バンコク空港にカメラ機材一式を置き忘れたまま出国してしまったこともある。
搭乗ゲートに向かいながら、いつになく体が軽いぞ、今日は調子がいいなと思った。ふと、いつも引きずって歩く、カメラと望遠レンズ、パソコンが入った重さ20キロのキャスターバッグがないことに気づいた。道理で身軽なわけだ。
さっき通ったばかりの出国審査場を強引に逆走し、超特急で引き返す。閑散としたタイ航空チェックインカウンターにバッグがぽつんと残され、傍らに女性スタッフが「信じられない!」という顔をして立っていた。
記録的な豪雨がフィリピン・レイテ島を襲い、村が丸ごと地滑りに呑み込まれた現場を取材した時。歩いていて突然、つるりと足が滑り、頭から泥濘に突っ込んだ。もがけばもがくほど、土中にはまっていく。
救援活動中の米軍の従軍牧師が、たまたま近くにいた。Oh My God!と、慌てて引っ張り上げてくれた。泥人形になったわが身はともかく、商売道具のカメラに泥水が入り、2台とも動かなくなってしまった。
窮余の策で、一緒に取材していたマニラ支局エンドー記者のカメラを強奪した。おかげで東京の上司にバレることなく、仕事を続けることができた。
帰任直前、今度はパキスタンにカメラを忘れた。この時は、パキスタンに出張したシンガポール支局長のハナダ記者が、回収してバンコクに届けてくれた。私には毎度のことだが彼には相当ショックだったらしく、
「武士がカタナを忘れてどうすんだよ~」と嘆いていた。
先月、東京の小さな中華料理屋に、シンガポール、マニラ、台北、バンコク支局の面々で集まった。みんなが帰国して、そろそろ10年になる。
その後、秋田~モスクワ~ワシントンで記者を続ける人あり、結婚して新しい命を授かった人あり、病気で死の淵をのぞいて生還した人あり、会社を離れてフリーになった人あり(←私)。
東南アジア赴任中もいろいろあったが、その後もそれぞれ、大きな出来事があった。
Shimoda Japan, Winter 2019
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