2018年8月25日

ジェントルマンを育てる


いまから75年前の日本では、英語が禁じられていた。

「敵性言語」である英語を使おうものなら、隣組の誰かに密告されたり、憲兵に捕まったりした。

 でも意外なことに、最前線でアメリカと戦っていた日本海軍では、英語を口にするのは全く自由だったという。

 海軍軍人としての日々は、市民生活に比べても窮屈なところがはるかに少なかった__と、海軍士官だった作家の阿川弘之が回想している。



やがて海軍でも戦死者が続出し、兵が足りなくなった。海軍兵学校では生徒の卒業年度を繰り上げて、短期間で兵士を育てて戦場に送ろうとした。

 そこに立ちはだかったのが、兵学校校長の井上成実。女性的な名前だが、ヒゲの海軍大将だ。その生涯が、阿川の著作「井上成実」に詳しい。

 命を捨てることも厭わない、白虎隊ばりの戦士を促成栽培するつもりの教官たちに、井上は宣言する。

「基礎教養に不可欠な普通学の時間を削減してはいかん。減らすなら軍事学の方を減らせ。英語の廃止なぞ絶対認めない」

 戦争中の兵学校校長でありながら、井上が目指したのは兵隊づくりではなかった。生徒をジェントルマンに育てようとした。

「ジェントルマンの教養と自恃の精神を身につけた人間なら、戦場へ出て戦士としても必ず立派な働きをする」

「目先の役に立つだけの人間では、状況に大きな変化が起きた時、自らの判断で対処することができないヨ」

 周囲が不可解に思った井上の言動。実は彼は、この時すでに日本の敗戦を見越していた。戦後の日本を復興させるのが自分の生徒たちだと知っていたから、軍事学でなく基礎教養に力を入れたのだ。

 戦争はあくまで一時期の現象であって、長期の現象ではない。軍人でありながらそれを見据えていた井上は、「海軍きっての知性」と評価されている。



当時、日本の20倍の工業力と資源を持っていたアメリカ相手に、なぜ勝つ見込みのない戦争を始めたのか。8月が来るたび、いつも不思議に思う。

この8月はサマーキャンプで、都会の小学生と秘密基地を作って遊んだ。チナ、レン、コハル、サユミ、リョウタ、ユウカ・・・彼らの両親はもちろん、おじいちゃん、おばあちゃんも、ほとんどが戦後生まれだ。

 戦争を知らない私たちでも、一般教養と語学を身につけ、世界を見渡す視野の広さを持ってさえいれば、2度とあのような過ちは繰り返さないように思う。

たとえ「○○きっての知性」など持ち合わせていなくても。

Tateshina, summer 2018


2018年8月18日

旅する巨人


 平成最後の夏。

 ・・・とは関係なく、昭和を生きた5人の評伝を読んだ。

 井上成実(元海軍大将)、渋沢敬三(元日銀総裁)、宮本常一(民俗学者)、佐治敬三(元サントリー社長)、開高健(作家)。

 開高健以外は、我ながらシブい人選だと思う。



 民俗学者・宮本常一のことは、佐野眞一著「旅する巨人」で初めて知った。

 空前絶後の旅行者、といわれる人だったらしい。

戦前・戦中・戦後にかけて4000日を旅に費やし、1日あたり40キロ、計16万キロ歩いて、日本中の古老から話を聞いた。

そして、膨大な聞き書きの記録を残している。

「数多くの事実の積み上げの中から、最小限いえることだけを引き出していこうとする」宮本の手法は、「自分の仮説にあう資料やデータばかりを集積し、自分なりの理論を組み立てようとする」他の学者とは対極にあったという。

 新聞社時代の自分を思い出して、赤面した。(だって締め切りが・・・)



 58歳で武蔵野美大の教授になるまで、宮本はずっと無職だった。

 その彼を経済的に支えたのが、渋沢敬三。

 若い頃に動物学者を目指した渋沢は、子爵家に生まれたばかりに、心ならずも銀行家になる。「銀行の仕事は一度も面白いと思ったことがない」彼は、33部屋ある自宅に宮本一家を住まわせ、ポケットマネーで彼の旅費を出す。

 そして宮本に言う。

「決して主流になろうとするな。傍流であればこそ状況がよく見える。主役になればかえって多くのものを見落とす。その見落とされたものの中に大切なものがあるのだ」

いや実にカッコイイ。

 宮本のような「旅する巨人」にもなりたいが、渋沢みたいなお金持ちになって、意欲ある若い人のパトロンになるのも悪くない。

 日本人は「お金」や「お金持ち」に対してネガティブだ。渋沢のようなお金の使い方をする人が身近にいれば、私たちも素直に「お金持ちになりたい」と思えるのだろう。



 偉業を成した人の伝記は、美しいだけでは終わらない。宮本の長女は言う。

「ほとんど家に帰れないほど旅をつづけたからあれだけの仕事ができたとは思いますが、家族が犠牲になったという気持は、正直いってあります」

「父でなければ尊敬できる人でした」


2018年8月11日

カミカゼと甲子園


 新聞社に入ったカメラマン最初の大イベントが、夏の甲子園だ。

 高校野球を県予選から取材し、耳の裏まで真っ黒に焦げてから甲子園へ。

 朝から晩まで1日4試合、1球1球すべてをカメラに収める。それも毎日。

ことによっては、実際にプレーする球児より過酷かもしれない。



その甲子園への召集令状、なぜか私にはこなかった。



20年の歳月が経ち、デスクになってから初めて甲子園に行った。

外資系ホテルに泊まりながら取材本部へ。炎暑の球場から続々と送られて来る写真を、寒いほど冷房が効いた室内で、テレビ中継を横目に編集する。

ランチタイムは、目と鼻の先にある「マクドナルド甲子園駅前店」へ。8月の獰猛な陽射しが頭から降り注ぐ。ものの10分歩くとクラクラするほど、関西の暑さは凄まじかった。

新人だったあの頃、もし甲子園に駆り出されていたら、2試合もたずに気絶していた。ホームランを撮りそこなって、取材本部を騒然とさせていた。

当時の上司は、つくづく人を見る目があったなと思う。



演出家の鴻上尚史が書いた「不死身の特攻兵」に、こんな記述を見つけた。

心の底から共感したので、少し長いが引用したい。



「僕は毎年、夏になると、いったいいつまで、甲子園の高校野球は続くんだろう、と思います」

「10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います」

「毎年、日本の夏が厳しさを増していることはみんな気づいています。亜熱帯と呼んでもいい気候になっていることをみんな知っています」

「けれど、いつものように、炎天下の試合は続きます」

 甲子園が「ただ続けることが目的」になってきているのに、「大人たちが誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです」

「その構図は特攻隊の時とまったく同じです」



 毎年8月になると、私も「高校生の虐待が始まった」とわめいて、妻にうざがられる。テレビに向かって叫ぶより少しは生産的かと思い、ブログに書く。
 

 高校野球・夏の甲子園大会は、早くやめるべきだ!

 __その昔、甲子園をあおる報道に加わった自責の念を込めて

 

  私の代案は、会場を京セラドーム大阪に移すこと。あそこなら空調完備だ。
高校生には快適な環境で、最高のパフォーマンスを発揮して欲しい。

ただ人工芝なので、負けたチームが土を拾えなくて困るかもしれない。



Hawaii, 2018



2018年8月4日

サマーキャンプの子どもたち


 1800メートルの山中で、都会っ子が3泊4日のサマーキャンプ。

山登りと秘密基地作り、木登りにオリエンテーリングもやる。夜は寝袋でテントに泊まる。どんな様子なのか、見ているだけで楽しそう。

スタッフが足りないと聞いて、手伝いに行った。



先回りして森で待つ。やがて、新宿発の大型バスが上がってきた。都会の熱気と一緒に、40人の小学生が降り立つ。私の班の半分は、小さな1年生。

男の子はさっそく、虫取り網を振り回してトンボを捕っている。カミキリムシやバッタも素手で捕まえて、見せに来る。都会っ子もなかなかやるね。

 隣では女子が、「この辺ぜったいマダニがいる!」と大騒ぎ。防虫スプレーを全身にかけている。ついでに私の腕にも満遍なくかける。

 ハチが飛んできた。「これはオスだから刺さないよ」と誰かが言い、みんな平然としている。ホントかな? もっと怖がったほうがいいよ。

 お昼ごはんは、流しそうめん。背の順に並んだ後ろ姿がかわいい。いちばん下流は1年生。モモちゃん上手にお箸を使えず、そうめんをつかめない。歓声を上げる上級生の陰で、涙をボロボロこぼしている。

見守る成人スタッフは、医学部5回生、就職浪人中の女子、山岳写真家、大学教授など多士済々。山と子どもが好きな人ばかりで、初対面でも連帯感があった。

 プログラムの圧巻は木登りだ。ただの木登りではない。ヘルメットをかぶり、安全ベルトとロープで確保されながら、カラマツの大木を登る。小さな背中がどんどん小さくなり、枝葉の向こうに消えていく。

 こわいこわいと悲鳴を上げながら、てっぺんまで10数メートルを登り切ったキョウカちゃん。「がんばったね、大変だったね」と声をかけると、

「うん。でもいちばん大変なのはスタッフさんたち」

 まさか小学生に、こんな言葉をかけてもらうとは。

 みんな興奮するのか、あちこちで鼻血を出す。大人はポケットティッシュが手放せない。

そして夕食はバーベキュー。薪を拾い、火起こしも自分たちで。

「マッチ点けたことある人、手を上げて!」「はい!はい!」「ユーキ君、もうタバコ吸うんだ~」「違うよ!理科の実験で習ったんだもん」

 うまくマッチに火が着くと、珍しそうに炎を眺めている。軍手が燃え始めてもも、まだ眺めている。ホットプレート世代の小さな人たち。

 夜は、クルマで10分の森の自宅に帰る。翌朝迎えに行くと、1年生が走って抱きついてきた。

「ぼくのパパとママ、2人で旅行に行ってるんだ」「カイ君のご両親、ラブラブだね!」

 子どもを大自然に遊ばせつつ、親にはまた別の思惑もある・・・みたい。


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...