いまから75年前の日本では、英語が禁じられていた。
「敵性言語」である英語を使おうものなら、隣組の誰かに密告されたり、憲兵に捕まったりした。
でも意外なことに、最前線でアメリカと戦っていた日本海軍では、英語を口にするのは全く自由だったという。
海軍軍人としての日々は、市民生活に比べても窮屈なところがはるかに少なかった__と、海軍士官だった作家の阿川弘之が回想している。
やがて海軍でも戦死者が続出し、兵が足りなくなった。海軍兵学校では生徒の卒業年度を繰り上げて、短期間で兵士を育てて戦場に送ろうとした。
そこに立ちはだかったのが、兵学校校長の井上成実。女性的な名前だが、ヒゲの海軍大将だ。その生涯が、阿川の著作「井上成実」に詳しい。
命を捨てることも厭わない、白虎隊ばりの戦士を促成栽培するつもりの教官たちに、井上は宣言する。
「基礎教養に不可欠な普通学の時間を削減してはいかん。減らすなら軍事学の方を減らせ。英語の廃止なぞ絶対認めない」
戦争中の兵学校校長でありながら、井上が目指したのは兵隊づくりではなかった。生徒をジェントルマンに育てようとした。
「ジェントルマンの教養と自恃の精神を身につけた人間なら、戦場へ出て戦士としても必ず立派な働きをする」
「目先の役に立つだけの人間では、状況に大きな変化が起きた時、自らの判断で対処することができないヨ」
周囲が不可解に思った井上の言動。実は彼は、この時すでに日本の敗戦を見越していた。戦後の日本を復興させるのが自分の生徒たちだと知っていたから、軍事学でなく基礎教養に力を入れたのだ。
戦争はあくまで一時期の現象であって、長期の現象ではない。軍人でありながらそれを見据えていた井上は、「海軍きっての知性」と評価されている。
当時、日本の20倍の工業力と資源を持っていたアメリカ相手に、なぜ勝つ見込みのない戦争を始めたのか。8月が来るたび、いつも不思議に思う。
この8月はサマーキャンプで、都会の小学生と秘密基地を作って遊んだ。チナ、レン、コハル、サユミ、リョウタ、ユウカ・・・彼らの両親はもちろん、おじいちゃん、おばあちゃんも、ほとんどが戦後生まれだ。
戦争を知らない私たちでも、一般教養と語学を身につけ、世界を見渡す視野の広さを持ってさえいれば、2度とあのような過ちは繰り返さないように思う。