「イギリス人には50キロ離れた場所は遠くだ」
と、著者ブロニーは驚く。
「オーストラリアでは、パンを一斤買うために80キロ車を走らせることもある」
「最寄りのパブへ行くにも飛行機で行かねばならない」地域まであり、みな自家用機を持っていて、自分の農場に半分酔っ払ったまま操縦して帰るのだそうだ。
オーストラリアの牧場で生まれ育ったブロニーは、死を悟った時の牛の鳴き声に耐えられなくなり、やがて家族でただひとり、厳格なベジタリアンになる。
彼女の幼少期は辛かった。「記憶もないような年頃からばかにされ、怒鳴られ、お前は救いようもないと言われてきた」。だから、「私はいまだに家族との関わりを楽しいと思ったことがない」
大人になったブロニーは「家賃を浮かせるために」、住み込みの介護ヘルパーになる。その後も、旅行などで不在になる家の留守番の仕事をして、その家から終末期の患者の家に通った。
「私は介護の仕事を通じてたくさんの家庭と関わるうちに、程度の差はあれ、衝突のない家庭などほとんどないと知った」
荷物は車に乗せられる分しか持たないという、自由でシンプルな生活。
でも時には留守番の仕事が見つからずに車で寝泊まりし、困窮してホームレス寸前になる。
「ずっと死にかけている人の周りにいてはだめよ。喜びを取り戻さなければ」臨終間際の苦しい息の下で、そう言ってくれた患者がいた。
彼女自身、「もう少し希望のあるところで、死に直面するよりももっと前に大きく人生を変えたり、成長したりできるチャンスのある人たちの近くで仕事をしたい」と思うようになる。
介護ヘルパーの仕事を辞めたブロニー。余命宣告を受けた人たちとの日々を綴ったブログが評判を呼び、やがて本になって世界中で出版された。現在は自然に恵まれた環境で、文章を書いたり作曲したりしながら生活している。
読書はいつも、知らない世界と知らない人生を垣間見せてくれる。
私もひたすら「自由であること」に憧れて、今までそれなりにいい線いってるつもりだったが・・・
この人には負けた。
Saigon Zoo, January 2018
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