米フロリダ州の「Gated community」を訪ねたことがある。
周囲を塀に囲まれ、無数の監視カメラが見張る富裕層向け住宅街だ。
「ゲート付き住宅地」というより、まるで「要塞町」。
遮断機が下りた正門で用件を聞かれ、守衛が住人に確認してやっと入場が許される。海を望む高層階に住んでいた60代女性は、
「以前住んでいた町で、女ひとり外を出歩くのは自殺行為だった。ここでは安心して散歩ができる」
と言いながらも、それほど幸せそうな顔はしなかった。
出張でハワイに行った時、吹き抜ける爽やかな風に魅せられた。
もしハワイで暮らせるお金があったら、ここは地上の楽園ではないか?
それを確認するため、休暇の1週間をハワイで過ごしてみた。
そうしたらホノルルの路上も、ホームレスや薬物中毒者が多かった。
身の危険を感じるほどではなかったが、ここで能天気に暮らすのは無理だと思った。
バンコクのようなアジアの大都会も、貧富の差はすごい。足や腕のない物乞いが並ぶ歩道橋の下を、東京より多くのベンツやBMWが走っている。
でも個人的には、不思議とアメリカで感じるような居心地の悪さはない。
社会が成長途上で、多くの人がよりよい明日を期待できるからだと思う。
人の幸福に関する研究では、幸せの分岐点は日本で600万円、アメリカで6万ドル。収入が増えるにつれて人の幸福度も増すが、年間所得が600万円または6万ドルを越えると、それ以上幸福度は増えないという。
日米で金額が似ているのが面白い。
また、アメリカで高額所得者への増税案が毎回つぶされるのは、誰もが将来、自分も金持ちになれると思っているからだという。
アメリカンドリームは、どこかに健在だ。
格差社会といわれつつ、日本は海外に比べて、まだ平等が保たれている。
ただそれは、縮小均衡による平等。社会にそこはかとない閉塞感が漂う。
でも人は、他人との比較で生きている。増税や年金の減額でみんなが一緒に貧しくなれば、幸福度は保たれる。