森の中に秋風が吹き始めた。お盆明け、早くも暖房をつけた。
廊下にも石油ストーブが欲しくなる。地元の家電量販店には在庫がなく、入荷するのは9月だという。
ネットで注文したら、はるばる海を越えて四国から届いた。
「無所属の時間で生きる」 城山三郎著
30代で独立し、亡くなるまでの数十年間を筆一本で生きた作家、城山三郎のエッセイ集。硬質な文章の中に、心に残ることばがあった。
「無所属の身である以上、ふだんは話相手もなければ、叱られたり、励まされたりすることもないので、絶えず自分で自分を監視し、自分に檄を飛ばし、自分に声を掛ける他ない」
私は保育園に入園以来、学校と会社に40年以上、属してきた。無所属歴3年めの初心者だ。先生や上司から叱られなくなった代わりに、通勤通学で得ていた生活の枠組みもなくなった。これには困った。。
著者のように、「自分で自分を監視」する意志力はない。だから、NPOやボランティア団体のメンバーになった。
タテ社会の窮屈さから、人と人が緩くヨコにつながる新鮮な世界へ。そして、生活の枠組み作りにもなっている。
タテ社会の窮屈さから、人と人が緩くヨコにつながる新鮮な世界へ。そして、生活の枠組み作りにもなっている。
「創作も学問研究も、いずれも無定量・無際限の努力を要求するものであり・・・神経や肉体をぼろぼろにさせずにはおかぬはず」
「率直に言って、物を書くというのは、三十年四十年経ってもつらい仕事であることに変わりはない。気が重くなり、いやになる」
新聞社ではいつも短期的な目標が設定され、時間内での成果が求められた。うまくいっても失敗しても、締め切りでリセットされた。無定量・無際限の努力が要求される作家や学者の大変さを、改めて知った。
「無所属の時間とは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか」
組織にいても、無所属の時間を作ることはできた。ガチガチに管理され、スマホのGPS機能で、居場所まで会社に筒抜けの日々。でも、一部の海外取材は別だった。
登山隊と一緒にヒマラヤに行った時は、衛星電話だけが会社との連絡手段。「雲のせいで電波が届かない」「発電機が壊れた」「吹雪でソーラー電池が使えない」など、いろいろな口実で音信不通になることができた。
束の間、無所属の時間を味わうことができた。
会社から離れて正真正銘の無所属になってみると、「人生をわが手に取り戻した」という感触がある。確かに、人間としてよみがえった気がする。
組織に守られている間、不安はないが不満があった。
そして今は、不安はあるが不満はない。
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