2017年5月27日

英語の鉄人


英語教育に定評のある、短大のコミュニティカレッジに通い始めた。

 いずれ、最貧国や紛争国で働いてみたい。そのためには、イギリスで開発学を修めた方がいい気がする。相当な英語力が必要だ。

 千里の道も一歩より。まず、ネパールの外国人トレッカー(非英語圏の)と議論して、内容はともかく口数で上回ることと、イギリスの経済紙 The Economist が読めるようになることが当面の目標。

 以前、この短大で日本語ボランティア養成講座を受けた。平日のキャンパスは18~20歳の女子だらけ。学生食堂も「女の園」になってしまい、ランチを食いっぱぐれた。今回は週末の講座を選んだ。

 近くにコミュニティカレッジがないので、電車で1時間かけて通っている。大学で山登りばかりしていた私のような人間は、社会に出てから壁にぶち当たる。学びなおしの場が必要だ。もっとコミュニティカレッジを作って欲しい。

 講師のグレッグは米東部ペンシルベニア出身。生徒は半導体部門のエンジニア、金融機関で働く女性、育休中のコンピュータ・プログラマー、孫の世話に忙しい女性ら計6人。

 この少人数でディスカッションやプレゼンを回すので、密度が濃い。向上心の強い社会人とともに学び、違う人生にも触れることができる貴重な90分だ。

「タカシ、今週のトピックは何だい?」「トピックと言われても。毎日夜中まで働いてたし。まあそれがトピックです、先生」半導体業界はかなり景気がいい。

 自宅で英語学習の参考にしているのは、上乃久子著「純ジャパニーズの迷わない英語勉強法」。上乃さんは私の友だちの友だちで、海外に住んだことも、留学経験もないのに、ニューヨークタイムズの記者をしている奇跡の人だ。

その教えにならって、毎日ディクテーションを始めた。でもいちばん見習うべきなのは、「絶対に話す」「絶対に聞き取る」という彼女の姿勢だろう。

随所にちりばめられたコラムで、瀬戸内の小さな町で生まれた上乃さんが、いかにしてNYタイムズ記者になったかが明かされる。私に向かって「帰国子女なのになぜ何語も話せない」と、不都合な真実を突きつけてくる本だ。

そこは割り切って、偉い人の自伝として読むことにした。

 以前、仕事で何度かアフガニスタンに行った。通訳兼運転手をしてくれた地元の青年ジャワットは、滑舌のいいイギリス英語を話した。彼の前では多くのイギリス人(たとえばベッカム)がひれ伏すに違いない。

 ある時彼から、BBCラジオを聴きながら独学で英語を覚えたと聞いた。

 上乃さんもジャワットも、恐るべき意志力の持ち主だ。

 語学学習は、記憶力と柔軟性がある人生の早い時期に、いかにその大切さに気づけるかだとつくづく思う。

 でも今からでも遅くはない。
 今からでも遅くはない、と自分に言い聞かせている。



2017年5月20日

ポスティングと女子寮


「海を見ながらポスティングしませんか」

 朝活で出会った師匠の甘言に誘われて、海辺の温泉町へ。

師匠はその道6年、雨の日以外の連日、あの町この町と配り歩いている。

 その数日前、予行演習を兼ねて、近所で寿司屋のチラシを配ってみた。両手を使わないと、チラシが郵便受けに入らない。でも片手は、地図とチラシの束で塞がっている。一軒ごとに玄関先で悶絶した。

 この朝、師匠に模範演技を示してもらった。

 ・・・なるほど。

さすが熟練の技。百聞は一見に如かず。目からウロコ。

さっそくマネすると、見事に片手で入った。小気味よくリズミカルに、とは行かないものの、かなり気分がいい。

初めての町に地図は必需品だ。歩いた道を赤く塗っていくことにした。地図がどんどん赤くなる。子どもの頃、住んでいた異国の街を歩き回り、地図を塗りつぶした遠い日の記憶が蘇る。

あの頃から、やることが何も変わっていない。

 慣れない様子で右往左往していると、地元住民に

「なにかの調査ですか?」

「にいちゃん散歩かい?」

などと声を掛けられる。

 この町は坂が多い。登るに従い急になる。商店街で見かけたお年寄りが、30分もかけてゆっくり登り返していく。

 さらに上には右翼の事務所があり、屋根に大きな日の丸が翻っていた。

 民家やアパートには空室が目立つ。人口減社会を肌で感じる。

たまにはマンションもあり、数十枚のチラシを一度に配れてうれしい。

 かれこれ3時間歩き、もうすぐ正午。空腹と暑さで意識もうろう、マンションと勘違いして、通用口から女子寮に侵入してしまった。

どうも様子が変だ。はたと気がついた。引き返そうとしたとたん、寮母さんと鉢合わせした。

「正面に回って呼び鈴鳴らせと書いてあるでしょ」

お小言だけで済んだのは、品行方正が服を着て歩いているような私だからこそ? そして、配っていたのがたまたま美容室のチラシだった。言葉巧みに、何枚か受け取ってもらった。

帰り道に冷や汗が出た。110番通報されなくてよかった。

失うものは何もないとはいえ。ブログ5回分のネタになったとはいえ。

師匠の話では、玄関に直接差し入れるタイプの郵便受けで、指を室内犬にガブリとやられる危険もあるという。

この世にたやすい仕事はない。




2017年5月13日

Finding Flow


時が経つのも忘れて、何かに没頭する。

恍惚の表情で、鍵盤に指を躍らせるピアニストのように。

心理学者のM・チクセントミハイは、この状態を「フロー」と名付けた。著書「フロー体験入門~楽しみと創造の心理学」で、ストレスと退屈の日々からフローを見つけることこそが幸福への道だと書いている。

ピアニストでない私たちは、車の運転でフローを得られるという。 

社会人になったころ、イタリアの小さな車を買った。シフトレバーとクラッチを自由自在に繰り、峠を越えて見知らぬ街へ。人車一体となって駆け抜けたあの感覚は、紛れもないフローだった。

 それでは、仕事でフローを得られるだろうか。

「創造的な人の人生では、仕事と遊びは不可分なものになる」(本文より)

報道写真の世界で、ありそうなのはスポーツ取材。

オリンピックのひのき舞台で望遠レンズを構え、小気味よくシャッター音を響かせる。予測通りのゲーム展開となり、やがて訪れた決定的瞬間をものにする。

それは夢想に終わった。国内試合で撮りっぱぐれを連発したカメラマンに、フローは来なかった。

撮影現場での女優と写真家という状況も、いかにもフローが訪れそう。

駆け出しカメラマンのころ、ある女優さんの取材でテレビ局に行った。記者のインタビューが終わり、いよいよ撮影タイム。人気ドラマのヒロインがいま、目の前に立つ。美しい大きな瞳で、真っすぐこちらを見つめる。

たちまち頭の中は真っ白。フローどころではなかった。

「食事やセックスから得られるフローは、多ければ多いほどいいわけではない」(本文より)

 それはそうだ。度を越せば生死にかかわる。

「インドの行者や修行僧は、欲望を抑えることにすべての注意力を必要とするので、他のことを行う心理的エネルギーはほとんど残されていない」

 こんなことを書いて、行者や修行僧の方々が怒らないだろうか。

「毎日がすばらしいものになるかどうかは、何をするかでなく、どのようにするかにかかっている。半身不随や失明という悲劇に見舞われた人は、事故後の方が人生を楽しんでいる」

 ボランティア活動で接する中途失明のおばあちゃんたちは、会うたびに笑い声を響かせる。一面の真理かも知れない。

「物質的には快適だが感情的にみじめなことをするより、気分よく感じることをする方がよい。仕事にやりがいがなく、退屈でストレスが多い時の唯一の選択肢は、できる限り早く辞めること。経済的困難という代償を支払っても」

 同感。人生の時間は限られている。自分に正直になろう。

「他の人の達成を手伝うことで、自分自身がいちばん満たされる」

人の役に立つことができて、それがフローを伴えば本当にすばらしい。

そんなフローに出会いたい。





 

2017年5月6日

100年も生きるのは大変!


 人生の残り時間を意識し始めたのが、40歳のとき。

 ちょうどその頃バンコクに赴任し、今月はヨルダンとイラン、来月はパプアニューギニアと南太平洋のキリバスへと、さすらいの特派員生活が始まった。移動の機内やホテルの部屋で、ふと「報道カメラマン後」を考えることがあった。

 いま思えば、あの辞令が終わりの始まりだった。

 エイッと会社勤めに踏ん切りをつけたのが50歳。妻によると私は、入ったばかりの新聞社を「10年でやめる!」と言っていたそうだ。結局、25年も居座った。面白い仕事ができたのは入社10年目以降だったので、早まらなくてよかった。

 退職して試行錯誤を重ねること2年余、その後の進路が定まらない。

 人生の残り時間は、あとどのくらいだろう。

 グラットン、スコット著「ライフ・シフト~100年時代の人生戦略」によると、いま生まれてくる子の半分以上は、105歳以上生きるそうだ。

いま40歳の人も、50%以上の確率で95歳以上生きるという。

 長寿の日本人は、もっと生きる。私の人生も、あと半世紀あるかも知れない。

 余命あと3年なら、私はお金持ちだ。赤いオープンカーだって買える。でも半世紀も生きるとなると、行く末はとんでもなく貧乏だ。

この本によれば、100年生きる時代に65歳で引退することは不可能で、80代まで働く必要がある。今までのように「教育」「仕事」「引退」の3ステージでは一生が終わらず、複数のキャリアを渡り歩くことになるという。

80代まで働けば、勤労生活は60年に及ぶ。その間、延々とやりたくない仕事を続けるのは不可能だ。

 リストラされることもあるだろう。勤めていた会社がなくなる可能性だってある。最初の仕事がお腹いっぱいになり、何か他のことがやりたくなる人もいる(私のことだ)。

長生きの結果として待ち受ける、キャリアの移行を伴うマルチステージの人生。そこで大切なのは「私にとって何が重要なのか?」「私が大切にするものは何か?」「私はどういう人間なのか?」と、自らに問い続ける姿勢だと著者はいう。

ちなみに私の年齢では、自分が何を望まないかはわかっているが、何を望むかは明確になっていない。実験すること、じっくり内省すること、そしてそれまでの役割に基づく行動パターンから自分を解き放つことが必要だ、と書かれている。

そして、お金と仕事に目が行きがちだが、家族や友人、スキルと知識、健康といった「見えない資産」に恵まれてこそよい人生だ、とも。

マルチステージの生き方を選んだものの、移行期間から抜け出せないでいる。5年後10年後の自分の姿は、想像もつかない。

ただ65歳まで会社にしがみついた場合より、ブログのネタだけは多くなりそう。



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...