1年ぶりのカトマンズは、街から停電が消えていた。
「電気が消えていた」の間違いではない。去年もひと月滞在したが、毎日16時間ずつ停電していた。しかも、電気が来るのは決まって寝ている間。実感として、ほぼ電気のない生活だった。
電気がなければお湯も出ないし、ネットもつながらない。暗くなれば、ローソクと懐中電灯が手放せない。日本なら大地震直後の被災地のような暮らしが、市民の日常だった。
そのカトマンズ名物「停電」が、劇的になくなった。もともと電力は豊富なのに、役人が国民に回さず、収賄目的でインドに売っていたという。
そんな噂が本当に思えるほど、この国の政府は腐敗している。真実はともかく、一緒に行った日本の大学生に、あの不便さを体験してもらいたかった。
去年も今年も、学生の中には海外旅行が初めての人がいた。ネパール9度めの私は、ヒマラヤを眺めるより彼らを眺めているほうがよっぽど面白かった。
彼らが驚くツボは予測不能だ。ここで驚くだろうな、という場面はスルーする。それでも、ネパールは国全体がビックリ箱だ。ネタには困らない。
「ほら、首都の目抜き通りを野良牛が散歩してるよ」 やっぱり驚いた!
就職を控えた男子と女子。男子には諦念のようなものを感じた。自由な時代が終わり、これから滅私奉公が始まる、とアンニュイな空気を漂わせる。その気持ち、とてもよくわかる。
それに比べると、女子は前向きだ。仕事の面でも夢を語るし、仕事と山登りを両立させようとしている。
男子の人生観が仕事で塗りつぶされがちなのに対して、女子は仕事が人生のすべてとは考えない分、希望を見出しやすいのだろうか。
山岳部員たちと私との年齢差は、ちょうど30。この30年間に、自分は何を得て、何を失っただろうと考える。すでに体力では敵わない。せめて感受性だけは、これ以上摩耗させないようにしたい。
ひとつ、自分の未熟さに気づかせてくれた会話があった。
共通の知人を否定する私の意見に、女子が同意してくれない。私が非難されたと感じた言葉にも、「それはミヤサカさんのことを心配して言ったんじゃないですか?」と言う。
帰国後、その知人に会いに行った。どうやら彼女が正しいらしいことがわかった。一方的に誤解したまま、危うく疎遠になるところだった。
雇われない生き方をしていると、自分で人間関係を選べる。会いたい人だけに会っていれば済む。これからは、苦手と思っている人にも会おうと思った。
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