サクラが咲く新学期の公園。お母さんの陰に隠れて、男の子が立ちすくんでいる。歓声を上げて遊ぶ子どもの輪に、どうしても入って行けない。
そんな姿に、自分でも驚くほど共感を覚える。
幼少時の記憶はほとんどないが、かつての自分も、彼のような子どもだったかも知れない。
スーザン・ケイン著「内向型人間の時代~社会を変える静かな人の力」の巻頭に、自分が内向型かどうかを判定する設問がある。20問、すべてに当てはまった。自分がここまで筋金入りの内向型とは知らなかった。
「文章の方が自分を表現しやすいことが多い」…二重マル。
「他人と衝突するのは嫌いだ」…三重マル。
「外出して活動した後は、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じる」…五重マル。この設問があるということは、世の中には消耗しない人もいるのか。とても信じられない。
内向型の赤ん坊は、初めて出会った事柄に対して、手足を盛大に動かして騒ぐ。生まれつき偏桃体が興奮しやすく、刺激に対して敏感なのだそうだ。
そんな子にしてみれば、大人数の中で積極的、社交的になるよう強いられる「学校という環境はひどく不自然」。そこに「自分の意思と関係なく放り込まれ」た内向型にとって、思春期は「大きくつまずく時期」なのだという。
我が身を思い返しても、40人もが詰め込まれた学校の教室は悪夢だった。卒業後に選んだ報道カメラマンは、幸い孤独な職業で、内向型に向いていた。その後中間管理職になると、今度は密室での会議に強いストレスを覚えた。
学校や会社から解放されたいま、数年前までの日常が、はるか遠い世界に感じられる。
この本の著者は、外向型を理想とする社会は間違いだと説く。「すばらしい創造性に富んだ人々は落ち着いた内向型」「内向型は単独作業を好み、孤独は革新の触媒となりうる」。ガンジー、アインシュタイン、ゴッホ、ショパンも内向型だという。
アジア人には内向型が多い。アメリカで学ぶ中国系学生がおとなしいのは「つまらない情報で相手の時間を取りすぎるのを心配する」から。外向型人間が新天地を求めて作った国アメリカで、内向型は日本以上に肩身が狭そうだ。
アジアを旅していると、地味なタイプの西洋人が、水を得た魚のように生き生きと歩いているのを見かける。やっと自分の居場所を見つけたのだろう。
著者はかつて弁護士だったが、それが自分の天職でないと理解するのに10年かかった。外向型の規範に順応して生きてきた内向型は、自分の好みを無視するのが当たり前になってしまうという。
その彼女がいま一番大切にしているのは「書くこと」。ソーシャルメディアの普及で、内向型も自分をアピールできる時代だ。