2017年4月29日

静かな人が世界を変える


 サクラが咲く新学期の公園。お母さんの陰に隠れて、男の子が立ちすくんでいる。歓声を上げて遊ぶ子どもの輪に、どうしても入って行けない。

 そんな姿に、自分でも驚くほど共感を覚える。

 幼少時の記憶はほとんどないが、かつての自分も、彼のような子どもだったかも知れない。

 スーザン・ケイン著「内向型人間の時代~社会を変える静かな人の力」の巻頭に、自分が内向型かどうかを判定する設問がある。20問、すべてに当てはまった。自分がここまで筋金入りの内向型とは知らなかった。

「文章の方が自分を表現しやすいことが多い」…二重マル。

「他人と衝突するのは嫌いだ」…三重マル。

「外出して活動した後は、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じる」…五重マル。この設問があるということは、世の中には消耗しない人もいるのか。とても信じられない。

 内向型の赤ん坊は、初めて出会った事柄に対して、手足を盛大に動かして騒ぐ。生まれつき偏桃体が興奮しやすく、刺激に対して敏感なのだそうだ。

 そんな子にしてみれば、大人数の中で積極的、社交的になるよう強いられる「学校という環境はひどく不自然」。そこに「自分の意思と関係なく放り込まれ」た内向型にとって、思春期は「大きくつまずく時期」なのだという。

 我が身を思い返しても、40人もが詰め込まれた学校の教室は悪夢だった。卒業後に選んだ報道カメラマンは、幸い孤独な職業で、内向型に向いていた。その後中間管理職になると、今度は密室での会議に強いストレスを覚えた。

学校や会社から解放されたいま、数年前までの日常が、はるか遠い世界に感じられる。

この本の著者は、外向型を理想とする社会は間違いだと説く。「すばらしい創造性に富んだ人々は落ち着いた内向型」「内向型は単独作業を好み、孤独は革新の触媒となりうる」。ガンジー、アインシュタイン、ゴッホ、ショパンも内向型だという。

アジア人には内向型が多い。アメリカで学ぶ中国系学生がおとなしいのは「つまらない情報で相手の時間を取りすぎるのを心配する」から。外向型人間が新天地を求めて作った国アメリカで、内向型は日本以上に肩身が狭そうだ。

アジアを旅していると、地味なタイプの西洋人が、水を得た魚のように生き生きと歩いているのを見かける。やっと自分の居場所を見つけたのだろう。

 著者はかつて弁護士だったが、それが自分の天職でないと理解するのに10年かかった。外向型の規範に順応して生きてきた内向型は、自分の好みを無視するのが当たり前になってしまうという。

その彼女がいま一番大切にしているのは「書くこと」。ソーシャルメディアの普及で、内向型も自分をアピールできる時代だ。

「いつも自分らしくしていよう」このことばに勇気づけられる人は多そうだ。


春のランタン谷(ネパール)




2017年4月22日

美顔エステの快楽


 外出支援のボランティアをしていると、助手席に座る利用者は障がい者、高齢者、生活保護受給者だ。

 3つすべてに該当する人もいる。

 車いすでひとり暮らす男性を乗せたり、自炊する失明した女性を乗せたり。

 その行き先は、決まって病院だ。

 傍から見れば大変な状況だが、みな淡々として、感謝のことばを忘れない。

 毎週、病院通いをする婦人がいる。車いすに掛けられた上品なひざ掛けのふくらみは、片足がない。治療のための通院だとばかり思っていたら、違った。患者のために、ボランティアで美術指導をしているそうだ。

 日々感じるのは、障がいや病気の多くと貧困の一部は、彼らの生き方とは何の関係もないということ。

「なぜこの人が、こんな目に遭わなければならないのか」

 答えは見つからない。



 世の不条理にぶつかった日は、送迎帰りに近所の児童館へ。主催者が心の広い人で、会社に行かない社会不適応者にも居場所を与えてくれる。

 古びた建物に入ると、子どもたちが音楽に合わせて踊っている。いやリズムを無視して飛び跳ねている。その小さな背中が、たまらなくかわいい。

 時々ひざの上によじ登ってきて、その日の出来事を話してくれる。

 たちまち幸福で満たされる。家路につく頃には、心のビタミンが120%充填されている。今日も夕焼けがきれいだ。



 その日もいそいそと児童館へ。いきなり、アンパンマンが大好きなYuiちゃんのママに「ちょっと顔貸して」と言われる。

 怖い。なにか粗相でもあったか。でもきれいなYuiちゃんママにだったら、ボコボコにされてもそれはそれで・・・

 いやいやそういう話ではない。エステティシャンの試験を控えた彼女の、練習台に抜擢されたらしい。

 くすぐったいから首から下はパスしたい。「美顔エステ」は、もともと首から上だけだそうな。知らなかった。

 その翌週、誘った妻とは予定が合わず、一人のこのこ温泉町のエステサロンへ。ドアの前に立った時は、恥ずかしくて帰ろうかと思った。

 その後のことは、とても語り尽くせない。人生初のエステ体験は、至福の2時間31分。自分の顔とは思えない、ぷよぷよ肌になった。

 ・・・世の不条理を書くつもりが、なぜか美顔エステの話に。

でもせっかくなので、このままにしておきます。


2017年4月15日

停電が消えた街


1年ぶりのカトマンズは、街から停電が消えていた。

「電気が消えていた」の間違いではない。去年もひと月滞在したが、毎日16時間ずつ停電していた。しかも、電気が来るのは決まって寝ている間。実感として、ほぼ電気のない生活だった。

電気がなければお湯も出ないし、ネットもつながらない。暗くなれば、ローソクと懐中電灯が手放せない。日本なら大地震直後の被災地のような暮らしが、市民の日常だった。

そのカトマンズ名物「停電」が、劇的になくなった。もともと電力は豊富なのに、役人が国民に回さず、収賄目的でインドに売っていたという。

そんな噂が本当に思えるほど、この国の政府は腐敗している。真実はともかく、一緒に行った日本の大学生に、あの不便さを体験してもらいたかった。

 去年も今年も、学生の中には海外旅行が初めての人がいた。ネパール9度めの私は、ヒマラヤを眺めるより彼らを眺めているほうがよっぽど面白かった。

彼らが驚くツボは予測不能だ。ここで驚くだろうな、という場面はスルーする。それでも、ネパールは国全体がビックリ箱だ。ネタには困らない。

「ほら、首都の目抜き通りを野良牛が散歩してるよ」 やっぱり驚いた!

就職を控えた男子と女子。男子には諦念のようなものを感じた。自由な時代が終わり、これから滅私奉公が始まる、とアンニュイな空気を漂わせる。その気持ち、とてもよくわかる。

それに比べると、女子は前向きだ。仕事の面でも夢を語るし、仕事と山登りを両立させようとしている。

男子の人生観が仕事で塗りつぶされがちなのに対して、女子は仕事が人生のすべてとは考えない分、希望を見出しやすいのだろうか。

山岳部員たちと私との年齢差は、ちょうど30。この30年間に、自分は何を得て、何を失っただろうと考える。すでに体力では敵わない。せめて感受性だけは、これ以上摩耗させないようにしたい。

ひとつ、自分の未熟さに気づかせてくれた会話があった。

 共通の知人を否定する私の意見に、女子が同意してくれない。私が非難されたと感じた言葉にも、「それはミヤサカさんのことを心配して言ったんじゃないですか?」と言う。

 帰国後、その知人に会いに行った。どうやら彼女が正しいらしいことがわかった。一方的に誤解したまま、危うく疎遠になるところだった。

雇われない生き方をしていると、自分で人間関係を選べる。会いたい人だけに会っていれば済む。これからは、苦手と思っている人にも会おうと思った。

2年続けてヒマラヤに行き、世代を超えた交流を持てたことに感謝。おかげで、いろいろな気づきがあった。





2017年4月8日

ヒマラヤで出会った人たち


 ヒマラヤ山中で、底冷えする夜が明けた。

宿でチヤパティと卵の朝食。隣では、ひとり旅のイスラエル女性と地元青年が話している。

「私はユダヤ人。ユダヤ人ってわかる?」

「え~っと・・・・・・パレスチナ人?」

ミルクティーを吹きそうになった。

あわてて振り返ると、イスラエル女性は「Nooooooo!」と言いながらも、顔が笑っている。

歴史的にはともかく世界地図では、ネパール青年の答えも×ではない。

別の村で同宿した、アルゼンチンの若いカップル。故郷コルドバからネパールまで遥かな道のりを、アフリカを回って来たという。地図で見たら、確かにアフリカ経由が近い。それでも地球の反対側。はるばるよく来たものだ。

顔中毛だらけのフランス男性。長旅で底が抜けてしまった登山靴を、ひもでグルグル巻きにして歩いている。これから徒歩1週間の道のりを「これで歩く」。去年は四国遍路をしたという。仕事はパリのファッション写真家。

このランタン谷は、2015年の地震で大きな被害を受けた。やっとトレッカーが戻り始めた段階と聞いていた。いざふたを開けてみたら、道中は欧米人で大にぎわい。途中、村のロッジは満員になった。

山が好きなら一度は行きたい、ヒマラヤ・トレッキング。飛行機を乗り継いで10数時間、最低でも10日から2週間の休暇がいる。日本で働く限り、簡単には来られない。ガイドを雇えばお金もいる。

今回のトレッキング中に出会った日本人は2人。ほかに見かけたアジア系は、韓国の単独行者だけ。圧倒的に白人が多かった。

日本人のひとりは20代の男性。外資系で働いているが、それでも休むのが難しい。「高橋まつりさん」(電通新人社員過労自殺事件)のおかげで社内の空気が変わり、やっと休暇が取れたという。

現地旅行社の話では、日本人トレッキング客のほとんどは定年退職後の高齢者。それに比べて、地理的にもっと離れたヨーロッパや北米、さらには南米から、老若男女あらゆる世代がネパールまでやってくる。

出会った彼らはクリエイティブ系からブルーカラーまで、職業もいろいろだった。彼らの国では、当然のように長期休暇が認められている。

第2次大戦中のドイツ軍兵士は、作戦中でも休暇を取っていたという。戦争でも休む。負けそうでも休む。「神風特攻隊」「玉砕」の国との、この差は何だ。

 帰国したら、国内でも「働き方改革」が進められていた。期待して新聞を開くと、青天井だった残業時間に上限を設けようという程度の話。

 この国は、100年遅れている。

日本人が気軽にヒマラヤを歩ける日は、いったいいつ来ることやら。





肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...