2006年12月、中東ヨルダン・アブドラ国王との単独会見が設定された。バンコクからタイ航空の深夜便で首都アンマンに向かった。
漆黒の午前4時、かつて日本赤軍が銃を乱射したアンマン空港に到着。飛行機から降りたとたん、強面にヒゲ面、革ジャンパー姿の、見るからにうさん臭い男たちに囲まれた。
「ユーがミヤクサか?」
「ミーが・・・ミヤクサ? ノー!」
「我々はロイヤル・パレスの者だ」
「もうホテルは取ってあるよ」 (私が予約したのはロイヤル・ホテルだ)
初めての国、それもイラクやシリアに囲まれた地に夜中に着いて、私は警戒心の塊になっていた。振り切って行こうとすると、有無を言わさず、手に持っていたパスポートを取り上げられてしまった。
多勢に無勢、両脇を固められて連行される。なんという国だ。どこに連れて行かれるのだろう。
入国審査場で長蛇の列を作る他の乗客を横目に、外交官専用ブースへ。彼らと入国審査官はなぜか親しく、私は特別待遇で入国することができた。
・・・え?
ようやく事態が飲み込めてきた。
私が「ロイヤル・パレス・ホテルの強引すぎる客引き」と思っていた連中。その正体は、泣く子も黙る?「ヨルダン国王親衛隊」だったのである。
やさぐれた風体と、あまりにもブロークンな英語(人のことは言えないが)のせいで、危うく間違いを犯すところだった。うっかり抵抗して、
「日本人、アンマン空港で王室側近と小競り合い。日本赤軍事件以来の不祥事」
などとニュースにされかねなかった。
会社のカイロ支局には到着便を知らせてあったが、よもや王室から迎えが来ていたとは。
身の危険が去って虚脱した私を、王室差し迎えの薄汚れたオペルがホテルまで送ってくれた。自分で手配しておいたホテル専用車はベンツだったので、そちらに乗りたかったが、断れなかった。
翌日の国王会見でも、ひと騒動あった。
カイロ支局長と私を迎えに来た親衛隊の車が、あろうことか、会見場に設定されたアンマン郊外の国王離宮を知らない。さんざん道に迷い、「日本メディア、国王との会見に遅刻する」寸前まで行った。用意周到かつ慇懃に、皇室取材の半日も前から記者を拘束する我が宮内庁のやり方は、必ずしも世界標準ではないらしい。
万事が整い、謁見したアブドラ国王は、見た目ビジネスマンのような、若々しく飾らない人だった。このカジュアルさが、現代ヨルダン王室の特質なのだろう。好感が持てた。
でも空港まで人を迎えに寄こすなら、せめてもう少し、それとわかる身なりで来て欲しい。可能なら、ゲストの名前も正しく覚えて頂きたい。
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