ここ数年、日本列島で火山活動が活発化している。木曽御嶽山、箱根山、口永良部島、浅間山・・・まるで、東日本大震災が引き金になったかのようだ。
そして活火山の動静は、専門家でも予測が難しい。私が新聞社に入社してすぐ、雲仙普賢岳が突然大噴火し、先輩カメラマンや火山学者が犠牲になった。
私も、あとから考えれば危なかったな、という記憶がある。
2006年5月、バンコク支局の私に、シンガポール支局のH記者から電話がかかってきた。「インドネシアのムラピ火山、噴火しそうだけど行かなくていいの?」
あわててジャカルタ支局の先輩記者に問い合わせる。「そういえば、そんなの話もありましたね」と、至ってのんびりした返事。
改めて現地情報を集めてもらうと、「周辺住民2万人に避難勧告、明日にも大規模噴火の可能性あり」とのこと。急きょ、ジャカルタ経由でジャワ島中部ジョグジャカルタに飛んだ。
町で四輪駆動車をチャーターして、火口から直線距離で4キロ地点まで行ってみる。空からどんどん火山灰が降りそそぎ、ヤシの木や田んぼの稲穂が真っ白だ。だが、近くの小学校は普通に授業をしている。マスク姿の子どもたちが、白黒映画のような風景の中を、元気に歩いてくる。
村の長老で、「ムラピ山の番人」を自認するマリジャンさんを訪ねた。彼は政府の避難命令を無視して火口に近づき、山の怒りを鎮める祈りを捧げている。ここでも、あまり緊張感は感じられない。
この状況、どう判断したらいいものか。とりあえず近くにホテルを取り、連日、バルコニーから噴煙を上げる山を眺めて過ごした。
そのうち、持ってきた文庫本を読み尽くした。やることがないので、中庭のプールで泳いだら鼻風邪をひいた。ホテル内にあるイタリア料理屋のパスタも、全種類を食べ尽くした。
引き際が難しい。ホテルの従業員に意見を求めると、「外国報道陣でまだこのホテルに残ってるのは、あなたぐらいですよ」という。
早く言ってくれればいいのに。
翌朝、そそくさと荷物をまとめてホテルを出ようとすると、別のスタッフが「昨日、夜中に大きな爆発があったのに、帰っていいのですか?」と言う。
どうしよう。
結局、里心が抑えられず、あとは野となれ山となれ、帰ってしまった。
この時の判断は正解だった。が、4年後の2010年、ムラピ山は大爆発を起こした。300人以上の犠牲者を出し、被災者は30万人を数えた。
「山の番人」マリジャンさんも、この時の火砕流に巻き込まれて亡くなった。取材に来ていた地元記者が多数、犠牲になったという。
山の神は気まぐれだ。
山の神は気まぐれだ。