2015年6月27日

山の怒り



 ここ数年、日本列島で火山活動が活発化している。木曽御嶽山、箱根山、口永良部島、浅間山・・・まるで、東日本大震災が引き金になったかのようだ。
 そして活火山の動静は、専門家でも予測が難しい。私が新聞社に入社してすぐ、雲仙普賢岳が突然大噴火し、先輩カメラマンや火山学者が犠牲になった。
私も、あとから考えれば危なかったな、という記憶がある。
2006年5月、バンコク支局の私に、シンガポール支局のH記者から電話がかかってきた。「インドネシアのムラピ火山、噴火しそうだけど行かなくていいの?」
あわててジャカルタ支局の先輩記者に問い合わせる。「そういえば、そんなの話もありましたね」と、至ってのんびりした返事。
改めて現地情報を集めてもらうと、「周辺住民2万人に避難勧告、明日にも大規模噴火の可能性あり」とのこと。急きょ、ジャカルタ経由でジャワ島中部ジョグジャカルタに飛んだ。
町で四輪駆動車をチャーターして、火口から直線距離で4キロ地点まで行ってみる。空からどんどん火山灰が降りそそぎ、ヤシの木や田んぼの稲穂が真っ白だ。だが、近くの小学校は普通に授業をしている。マスク姿の子どもたちが、白黒映画のような風景の中を、元気に歩いてくる。
村の長老で、「ムラピ山の番人」を自認するマリジャンさんを訪ねた。彼は政府の避難命令を無視して火口に近づき、山の怒りを鎮める祈りを捧げている。ここでも、あまり緊張感は感じられない。
この状況、どう判断したらいいものか。とりあえず近くにホテルを取り、連日、バルコニーから噴煙を上げる山を眺めて過ごした。
そのうち、持ってきた文庫本を読み尽くした。やることがないので、中庭のプールで泳いだら鼻風邪をひいた。ホテル内にあるイタリア料理屋のパスタも、全種類を食べ尽くした。
引き際が難しい。ホテルの従業員に意見を求めると、「外国報道陣でまだこのホテルに残ってるのは、あなたぐらいですよ」という。
早く言ってくれればいいのに。
翌朝、そそくさと荷物をまとめてホテルを出ようとすると、別のスタッフが「昨日、夜中に大きな爆発があったのに、帰っていいのですか?」と言う。
どうしよう。
結局、里心が抑えられず、あとは野となれ山となれ、帰ってしまった。
この時の判断は正解だった。が、4年後の2010年、ムラピ山は大爆発を起こした。300人以上の犠牲者を出し、被災者は30万人を数えた。
「山の番人」マリジャンさんも、この時の火砕流に巻き込まれて亡くなった。取材に来ていた地元記者が多数、犠牲になったという。
 山の神は気まぐれだ。
 

2015年6月21日

国王親衛隊との対決


2006年12月、中東ヨルダン・アブドラ国王との単独会見が設定された。バンコクからタイ航空の深夜便で首都アンマンに向かった。

漆黒の午前4時、かつて日本赤軍が銃を乱射したアンマン空港に到着。飛行機から降りたとたん、強面にヒゲ面、革ジャンパー姿の、見るからにうさん臭い男たちに囲まれた。

「ユーがミヤクサか?」

「ミーが・・・ミヤクサ? ノー!」

「我々はロイヤル・パレスの者だ」

「もうホテルは取ってあるよ」 (私が予約したのはロイヤル・ホテルだ)

初めての国、それもイラクやシリアに囲まれた地に夜中に着いて、私は警戒心の塊になっていた。振り切って行こうとすると、有無を言わさず、手に持っていたパスポートを取り上げられてしまった。

多勢に無勢、両脇を固められて連行される。なんという国だ。どこに連れて行かれるのだろう。

入国審査場で長蛇の列を作る他の乗客を横目に、外交官専用ブースへ。彼らと入国審査官はなぜか親しく、私は特別待遇で入国することができた。

・・・え?

ようやく事態が飲み込めてきた。

私が「ロイヤル・パレス・ホテルの強引すぎる客引き」と思っていた連中。その正体は、泣く子も黙る?「ヨルダン国王親衛隊」だったのである。

やさぐれた風体と、あまりにもブロークンな英語(人のことは言えないが)のせいで、危うく間違いを犯すところだった。うっかり抵抗して、

「日本人、アンマン空港で王室側近と小競り合い。日本赤軍事件以来の不祥事」

などとニュースにされかねなかった。

会社のカイロ支局には到着便を知らせてあったが、よもや王室から迎えが来ていたとは。

身の危険が去って虚脱した私を、王室差し迎えの薄汚れたオペルがホテルまで送ってくれた。自分で手配しておいたホテル専用車はベンツだったので、そちらに乗りたかったが、断れなかった。

翌日の国王会見でも、ひと騒動あった。

カイロ支局長と私を迎えに来た親衛隊の車が、あろうことか、会見場に設定されたアンマン郊外の国王離宮を知らない。さんざん道に迷い、「日本メディア、国王との会見に遅刻する」寸前まで行った。用意周到かつ慇懃に、皇室取材の半日も前から記者を拘束する我が宮内庁のやり方は、必ずしも世界標準ではないらしい。

万事が整い、謁見したアブドラ国王は、見た目ビジネスマンのような、若々しく飾らない人だった。このカジュアルさが、現代ヨルダン王室の特質なのだろう。好感が持てた。

でも空港まで人を迎えに寄こすなら、せめてもう少し、それとわかる身なりで来て欲しい。可能なら、ゲストの名前も正しく覚えて頂きたい。


2015年6月13日

Keep Looking, Don't Settle


 友人のひとりが、最近は庭仕事にはまっている。地道に土と向き合って、昼食を忘れるほど夢中になれるそうだ。

 ふと、我が身を振り返る。最近、寝食を忘れるほど夢中になれたことがあっただろうか。熱中できることに出会った友がうらやましい。

 私は退職後、いろいろなボランティアに首を突っ込んでいる。どれも新聞社の中間管理職に比べ格段にやりがいがあるが、ランチも忘れるほどかと言われると、決して忘れない。

 子どもの頃、プラモデルを作ったり、友だちと雑木林でセミを取ったり、戦争のノンフィクションを読んだりして、時が経つのも忘れた気がする。逆に社会人になってからは、食べることも忘れるほど何かに熱中した記憶がない。

 高倉健は「大学を出たとき、何をやりたいかはわからなかったが、何をやりたくないかはわかっていた」そうだ。それでサラリーマンにはならず、結果的に俳優という職業に進むことになったという。

 高倉健と比べるのはおこがましいが、私の場合、もう少し明確に「報道カメラマンになりたい」という意思があった。それでも、この仕事に食べることも忘れるほど熱中したかというと、そこまでは行かなかった。

 否応なく食事を抜いたことはある。朝から晩まで事件現場に張り込んだ時のこと。いつ動きがあるかわからないので、その場を離れられない。某公共放送局の取材スタッフは、視聴者から集めた金で2段重ね幕の内弁当を食べている。私の会社からは、コンビニのパン1個さえ届かない。もう受信料は払わない、と逆恨みした。

 スティーブ・ジョブズが理想の iphone づくりに励んでいる時や、投資家のウォーレン・バフェットが企業の財務諸表を読み込んでいる時は、たぶん寝食を忘れていると思う。生涯を通じて心から熱中することに、若いころに出会う。本当にラッキーな人生だ。

 私も投資は大好きだが、寝食を忘れたことはない。ちなみに投資銀行で働く人によると、普通の仕事では、努力と成果はある程度比例するが、こと投資に関する限り、この法則が当てはまらないらしい。朝から晩までディーリングルームに張り付いているのに、全く利益を出せない人。その一方で、いつもはゴルフばかりして遊んでいるのに、ここぞという時に現れ、大きく賭けて大きく儲け、さっそうと消えていく人がいる、という。

 私の投資は草食系で、ひたすらインデックス型投信の積み立て。最初に銀行口座から自動引き落としする仕組みを作ってしまうと、あとは本当にやることがない。オートパイロットで水平飛行しているようなもので、寝食を忘れるほどの対象は、他を探さないといけない。難儀なことだ。

 アメリカで、20代男性が3日3晩、ぶっ続けでコンピュータ・ゲームをやり続け、心臓発作で亡くなった事件があった。最後まで好きなことに熱中して、幸せな人生でした、と言えるだろうか。

 優秀なゲームソフト製作者の術中にはまると、命が危ない。気をつけなければ。

2015年6月5日

ボランティア善人説


 先日、移送ボランティアの初陣で、おばあさんを自宅から病院まで送迎してきた。

気安く引き受けたはいいが、実は引っ越してきたばかりのよそ者だ。市内の主な道さえわかっていない。前日、何度も地図で予行演習した。

当日、住所を頼りに自宅に伺い、所属するNPOが「24時間テレビ」から寄贈された、車いす仕様の福祉車にお乗せする。

初対面の、しかも持病のある高齢者だ。緊張して運転した。車にも年季が入っていて、ゆっくり、慎重に路上のマンホールを避けて走らないと、段差がもろに体に響く。細心の注意を払った。

 無事、病院に着き、2時間ほど待つことになった。玄関先で偶然、同じNPOの先輩に会う。彼は現役時代タクシードライバーで、運転はお手のものだ。「タクシーと違って儲からないから、もう辞めようかな」と言う。ジョークなのか、本音か。彼から、図書館やショッピングセンター、駐車場のあるカフェなど、待ち時間のヒマのつぶし場所を教えてもらう。

帰りも何事もなく、自宅までお送りした。耳が遠いようで会話に苦労したが、優しい人だった。別れ際、とてもいい笑顔を見せてくれたので、ホッとした。

 このNPO、入ったばかりの私に「それでは来週火曜に、誰それの送迎をお願いします。住所はどこそこです」と、いきなり車のキーを渡す。移送サービス講習の修了証はおろか、運転免許証さえ見ようともしない。自由放任というか、信用してもらったというべきか。とてもおおらかだ。私が無免許でアル中の薬物常習者だったら、いったいどうするつもりだろう。

手伝いに通っている認知症グループホームでも、女性2人をドライブにお連れする機会があった。この時は施設の車で、城跡や駅前商店街、市役所など30分ほどのコースを巡った。「ここはどこ?長いこと住んでるけど、こんなところ初めて」「主人は決まった道しか運転しなかったから。私には免許取らせてくれなかったのよ、危ないからって」「あっ、こんな所にスーパーがある!お財布持って来ればよかった」と、2人は後部座席で大はしゃぎしていた。

施設の話では、入居者にうっかりお金を持たせると、際限なくモノを買い、それを惜しげもなくプレゼントしてくれて困るという。それはいいことを聞いた。次回はぜひ、財布を持ってきて頂ければと思う。

若いころ活発に暮らしていた人にとって、家や施設にこもり切りの生活は、さぞストレスが溜まるだろう。ドライブが気晴らしになってよかった。

ところで、いま3か所でボランティアをしているが、どこも私の前歴を聞こうともしない。日本では、ボランティア=善人、という位置づけなのだろうか。人さまの命を任されている気がするのだが。

たとえその人物が薬物中毒でなくても、もし新聞記者崩れだと、一切合財をブログに書かれたりもする。危険だ。

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...