2025年4月18日

マニラの24時間

 

セブ島英語留学を終え、いよいよ帰国の朝がきた。

フライトは午前11時発。学食でのんびり最後の朝ごはんを食べながら、何げなくケータイをのぞく。

ガーン!! 搭乗予定のフィリピン航空が、2時間遅れている。

その帰国便は、まずセブからマニラまで国内線で飛び、2時間20分の待ち合わせで成田行の国際線に乗り継ぐことになっていた。

普通なら、時間的には余裕のはず。でもマニラ行きが2時間遅れとなると、乗り継ぎ時間はたったの20分。その間に別のターミナルに移動し、出国審査も受けなければならない。

どどど、どーなるんだろ? とりあえず空港に向かった。

チェックインカウンターで、私のチケットを手に空港スタッフが端末を叩く。

やがて、顔を上げた。

「あなたのフライトは、もう成田行に間に合いません。マニラから先は、明日の便に振り替えになります」 

謝罪の言葉も悪びれる様子もなく、あっさりと宣告された。

「なにぃ? 明日は朝から大事な会議があるんじゃ! どーしてくれるねん!」

と血相を変えて叫べば、あるいは別の展開があったかも知れない。

しかし、自分にはそのような切迫した用事は一切ない。

マニラのホテルと3度の食事、空港送迎はフィリピン航空持ちという。ここは、流れに身を任せることにした。我ながら、すぐ懐柔される乗客だと思う。

当てがわれたホテルは、ベッドだけでいっぱいになる狭さ。食事時間になると、弁当が部屋に届いた。コロナで隔離生活をしているような気分になる。

ホテルは治安のいいマカティ地区にあり、グリーンベルトやレガスピ公園も徒歩圏内。そして今回は、自由に外に出られる。夕方散歩に出ると、並木道の両側に石造りの重厚なアパートが並び、アメリカ東部の古い街を思わせるいい雰囲気だった。

コロナ禍真っ最中の1年間は、毎日自宅でオンライン英会話のレッスンを受けていた。毎回違う先生を予約したが、全員がフィリピン人の先生だった。

日本社会がほぼ正常に戻った時、対面で英会話を習うため、満を持してマニラに飛んだ。どの英会話学校も事前申し込みを受け付けていないのが、不思議といえば不思議だったが…まぁ行けばなんとかなるやろ。

深夜のマニラ空港に着くと、武装した迷彩服の兵士が厳戒態勢を敷いている。翌朝街に出ると、英会話学校はおろか、市内の小中高校すべてが休校中。子どもの姿が、街から消えていた。

通勤電車内には制服制帽の「マスク警察」がいて、マスクから鼻が出ているだけで注意される。とてもじゃないけど、気安く街を出歩けない。

結局、マニラでもホテルに籠ってオンライン英会話をやった。

 

3年ぶりにデラローサ通りの高架歩道を散歩し、平和が戻った夕暮れのマニラを眺めた。

自由に街を歩けるって当たり前のようで、実はかけがえのないことなのかも。

Manila, March 2025


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