2016年12月31日

フリーランサー2年目の備忘録


 2016年も、あと数時間で終わり。だらだらした南国タイでの年越しと違い、きちんと1年を振り返る気になるから不思議だ。

以下、フリーランサー2年目の備忘録。

 今年最大のトピックは、夏を中心に102日間、信州の山荘で過ごしたこと。涼しさを通り越して、肌寒いほどのひと夏になった。

リオ五輪は、はるか別世界のできごと。静かな森を歩き、セネカ、プラトーン、ソロー、新渡戸稲造、司馬遼太郎を読んだ。

元ジャンボ機機長、マダガスカル駐在大使夫人、ネパール盲学生支援者ら、森の住民たちとの出会いもあった。

 国外滞在は、1~3月に計76日間。去年(86日間)より少し短くなった。タイを拠点にラオスとミャンマーを訪ねた後、大学山岳部の学生たちとヒマラヤ山麓を歩いた。

「再会の年」でもあった。

33年ぶりに、高校山岳部の仲間たちと会う。8月には、パリ日本人学校時代の同級生と、37年ぶりに会うことができた。

消息不明だった私を、探し当てた友に感謝。SNSの威力を思い知る。

春と秋は、関東の城下町でボランティア。障がい者や高齢者をクルマで病院送迎、貧困家庭の子の塾講師、在住外国人の日本語教師、の3本立て。

車いすの人を病院まで送ると、診察を受けても薬をもらっても、会計を素通りする。障がい者の多くが高齢者、かつ生活保護の受給者で、代金を支払う必要がないことを、初めて知る。

学びの面では、近所の大学で「多文化共生ワークショップ」(日本語教師養成講座)を受講。「病院ボランティア養成講座」にも通った。

収入と支出について。昨年は失業給付があり、前の会社からボーナスも出たので、150万円の収入があった。今年は、社会福祉法人からの給料が5万円。もうひとつの有償ボランティアと合わせて、合計年収23万円。ラオスの一人当たりGDPと同じで、国内中心の暮らしには少し足らず、日本国債を売って充てる。

 退職後しばらく、税金と社会保険料は現役時代と同じ額を「惜しみなく奪われて」いた。この夏ようやく、実際の所得に見合った額になった。

  さて明日から新年。フリーランサー3年目の抱負は? 愛読する社会学者・河合薫のブログに、ミドルが大切にしたいこととして、こんな言葉があった。

「他者のまなざしに頼らず、他者から笑われてしまうようなことであれ何であれ、自己の内面的世界を頼りにする」

「社会的欲求とか、他者からの評価とか、他者との競争とか一切関係ない、自らの価値。そこまで自己を切り離して、きれいな欲求を持つ」

 2017年、きれいな欲求を持って日々を過ごしたい。




2016年12月22日

流動客調査員


 革ジャンの腕に腕章を巻き、師走の街角に立つ。

カチカチと、手にしたカウンターで人を数える。

その名も「流動客調査員」。

商工会議所が、昭和40年代から行っているこの調査。マンウォッチングができて日当も出るので、応募してみた。

学生のころ冬山でビバークし、報道カメラマン時代は立ちっぱなしで張り込みをした。私にうってつけのバイトだ。

割り当てられた場所は、駅から徒歩数分の銀行前。折り畳みイスが支給されたが、MBTを履いて6時間、ずっと立っていた。

なにぶん小さな街なので、すぐ知った顔に会う。この仕事、地元の人はやりにくいかも知れない。引っ越して2年の私でも、いろいろ出くわした。

そこを行く色黒の男は、ハニー。日本語教室に来るインド人だ。24歳、厳格な菜食主義者。虫も殺さぬ優しい顔立ちながら、今日はかわいい日本のガールフレンドを連れている。

 彼は私に気づかない。デートの邪魔をしては、とこちらも声を掛けずにいたら、目の前を3度も、行ったり来たり。こちらが透明人間になったよう。

 次に会ったのは、中学生のKくん。彼は、私がボランティアをしている学習塾の生徒だ。「鱈」「鱚」「鰈」、魚偏がつく漢字は次々書けるのに、英語はぜんぜんダメ。受験には向かないタイプ。

黒い制服姿で、おしゃれな美容室の前をウロウロしている。かなり挙動不審だ。私がじっと観察していても、まったくお構いなし。

そのうち、カットを終えた女性が出てきた。優しい笑顔は、お母さんらしい。

肩を並べて帰って行く、その後ろ姿を見送った。彼の家は、母子家庭だ。

午後3時、知らない男の子に「おはようございます!」と、あいさつされる。

すれ違いざま、別の子に「変なおじさん!」と言われる。

夕方、ボランティア仲間のおばさまが歩いてきた。今度は私に気がついた。伏し目がちに近づき、唐突に「忘年会出る?」と言って、そそくさと去って行った。

そんなにひと目をはばからなくても・・・

カウンターの数字を見ると、通行人は1時間平均で800人ほど。6時間で5000人が、それぞれの用事を抱えて、通り過ぎて行った。

道の奥にドンキがあるので、黄色いレジ袋を手に下げた人が多い。ここにシャンゼリゼや表参道の絢爛さはないが、道行く人の人生が垣間見れて、楽しかった。

調査の過去データでは、駅前の人出は年々、減少している。この夏、5階建ての商業ビルが閉鎖された。東京から転入してきた知人(3児の母)は、「駅前なのにパンツ1枚買えない」と嘆いている。


今日の調査を、活気ある街づくりに生かしてほしい。

やがて冬の陽が陰ると、人通りが途絶えた。最後の1時間は、寒さがこたえた。

風のない日でよかった。




2016年12月11日

○▲×■!


 東京で働く友人が、超満員の通勤電車(女性専用車両)で、一触即発の場面に遭遇した。10数分間に2度、別々の方向から罵声を聞いた。

「いてーよ、オバサン」

「ふざけんなババア、いてーんだよ」

 圧死しそうなほどの混み方で、かなり不快を感じていたのだろう。でも、これが女子の口から出た言葉かと思うと、怖い。

 ついでに思い出した。新聞社の編集局にいた頃、同期から聞いた話だ。

 深夜、いよいよ最終版の締め切りが迫る時間帯。となりの部署から、言い争う声が聞こえてきた。女性デスクが電話越しに、取材現場の部下と口論している。

 だんだん、口調が乱暴になる。ただならぬ雰囲気。

そして・・・ひときわ大きな声で、

「ク●して寝ちまえ!」 ガチャン!!

 時に殺伐とするこの職場で働いて20年、百戦錬磨の彼も、思わずたじろいだという。

 女性デスクとはその後、一緒に仕事をする機会があった。内心、かなりビビった。いざ会ってみれば、若輩の私にも気遣いを忘れない、いい人だった。

 殺人的に混んだ電車内や、紙面の全責任を負う締め切り間際。そういった状況が、かくも女性を豹変させるのだろうか。

 アイエンガーによると、通勤がもたらすストレスの蓄積は、解雇や離婚より健康を害する度合いが大きいという。カーネマンの研究でも、通勤は1日で最も不快な時間で、通勤時間が20分長くなると、失職の5分の1のダメージに匹敵するという。

 これらはアメリカの話だ。マイカー通勤で、渋滞に巻き込まれるストレスを指しているのだろう。毎朝、乗車率200%の通勤電車に押し込まれる、日本人のストレス量は計り知れない。

 私は比較的、恵まれていた。サラリーマン生活25年のうち、成田、仙台、バンコクではマイカー通勤。とりわけバンコクでは、ありえない専属運転手付き。福岡時代は、城址公園の中を徒歩で会社に通った。

東京本社に仕えた時も、遊軍やグラフ担当の時は自由裁量で働けた。シフト勤務で夜勤も多く、そういう日は朝の「痛勤」を免れることができた。

いま会社を辞めて、地方で福祉に携わっていると、現場で接する女子の雰囲気が明らかに違う。ひと言でいえば、女性らしくある。これまで「女性の優しさもひとつの戦略」と、肝に銘じて生きてきたが、危うくそれを忘れそうになる。

満員電車に乗る必要がなく、時間の流れも穏やか。ゆとりある環境では、彼女たちの口から「○▲×■!」などという言葉が発せられることもないだろう。

この安らかなる日々よ、永遠なれ。


自然学校で

  このところ、勤務先の自然学校に連日、首都圏の小中学校がやってくる。 先日、ある北関東の私立中の先生から「ウチの生徒、新 NISA の話になると目の色が変わります。実際に株式投資を始めた子もいますよ」という話を聞いた。 中学生から株式投資! 未成年でも証券口座を開けるん...