2015年7月20日

スラムの天使




2005年、インド南部バンガロールで、勃興するIT産業の陰で広がる貧富の格差を写真取材した。


出発前、何とか糸口を見つけようとネット検索しているうちに、現地で貧しい子供の権利を守る活動をしている日本女性、Nさんの存在を知った。何度かメールを交換し、無事に現地で会うことが出来た。


Nさんはイギリスの大学院で開発学を修めた後にインドへ渡り、現地のカンナダ語をマスター。貧しい人たちが暮らす地区にも精通していて、取材のパートナーとして願ってもない人だ。


話しているうち、彼女が私の大学の後輩だ、ということが判明する。我が母校は女性ばかりが優秀だが、卒業生には民放アナウンサーやエアラインのCA系が多い。私にはなじめなかった、あの華やかな雰囲気のキャンパスが、骨太な人も輩出するとは知らなかった。


Nさんと一緒に、性的虐待を受けた女性たちのシェルターを訪れた時のこと。昼食にカレーをごちそうになった。内心ビビりながらも覚悟を決め、土間に座って手づかみで食べた。


辛い。水なしでは、とても喉を通らない。コップの水は生ぬるく、なんとなく濁っている気がする。Nさんはと見れば、無造作に飲んでいる。絶体絶命。ゴクリと飲み干す。


案の定、翌朝、私だけおなかを壊した。やはり彼女は鍛え方が違う。


その後も何度かインドに渡り、Nさんと炎天下のバンガロールを歩いた。ある日、レンガ工場で行われていた児童労働の現場に踏み込んだ。彼女がわざと工場主に話しかけ、注意をそらしている隙に、重さ5キロのレンガ10個を頭に乗せて運ぶ、泥まみれの少女をカメラに納めた。写真は新聞に大きく掲載された。


以前、日曜版の連載で海外取材が多かった時も、トルコやフランス・アルザスの田舎、チュニジアなど、「こんなところに!」と思うような辺境の町に日本女性が暮らしていて、取材のコーディネイトをしてくれた。皆、語学力はもちろん交渉力もあり勤勉で、優秀な人たちばかりだった。


治安が悪いアフガニスタンでも、国連機関の一員として軍閥の武装解除を行う日本女性、井戸掘りや教育支援に携わるNGOで働く日本女性がいた。自爆テロが相次ぎ、防弾車なしには外出もままならない中、自然体で働く彼女たちは輝いて見えた。仕事で忙しいのに、活動現場を案内して頂いたり、最新の治安状況を教えて頂いたりと、行くたびにお世話になった。


首都カブールのクロアチア料理レストランは、国際機関で働く外国人のたまり場だ。そこで彼女たちに話を聞くと、一度は東京で就職しながら、思うところあって国際機関やNGOに転職したということだった。どうも日本社会、日本企業がいまだ閉鎖的な男社会で、活動の場を海外に求めざるを得なかったようだ。彼女たちの海外での活躍が、日本の声価を高めていることを、単純に喜んでばかりはいられない。


バンガロールのNさんは今、11年に及んだインド生活に区切りをつけて再びイギリスに渡り、別の大学院でセラピーを学んでいる。

学び、現場に出て実践し、必要と感じればまた学びなおす。

分野は違っても、私もそういうサイクルに生きたい、と強く思う。

2015年7月12日

南へ

「奄美大島2泊3日、2万円」のツアーに行ってきた。

 安い・・・ いかなる基準を持ってしても。

 奄美大島といっても、浅学の私には、歌手の元ちとせしか思い浮かばない。この際、行き先はどこでもいい。

 平日の旅で、不便な成田空港発着のLCC利用。「金持ちではないが時間持ち」の私にはうってつけだ

 それにしても。いくら何でも採算割れでは?

 この安さ、ほかに理由があるのではないだろうか。

出発前、現地の天気予報をチェックして初めて気がついた。6月下旬のこの時期、奄美地方は梅雨の真っ最中なのだった。

到着したら、いきなり雨。しかも半端な降り方ではない。その日、日本列島くまなく晴れなのに、奄美地方だけ「大雨洪水警報」である。

地図では目と鼻の先に見える沖縄は、すでに梅雨明け。連日快晴。

許せない。

レンタカーを借り、雨の島内を一周した。「暑くなくていいや」「2万円だし」「かえって緑がみずみずしいなあ」等々、負け惜しみを100回ぐらいつぶやきながら。これも人生だ。

ちょうど1年前にLCCのバニラエアが就航するまで、東京から奄美大島への直行便は1日1便のみ。東京や大阪から大型機がひっきりなしに到着し、大勢の観光客が押し寄せる沖縄とは対照的だ。

往復の機内では観光客より、おおらかさを身にまとった島の人が多い。地元紙に「飛行機代が安くなって、年1回の帰省を3回できるようになりました」という、喜びの声が寄せられていた。

空港から名瀬までの国道を外れると、海岸沿いの道はまるで私道。反対車線やバックミラーに、他の車を見かけない。山側の急斜面にはソテツや芭蕉が群生していて、地味ながらも南国らしい風景を満喫する。

路面に、褐色の泥水があふれ出している。それを見て思い出した。西隣の徳之島、東隣の喜界島は、以前に仕事で訪れた。奄美大島は初上陸と思っていたが、5年前に豪雨災害の取材で来ていた。

鹿児島を発った小さな取材ヘリコプターの風防ガラスに、大粒の雨が叩きつける。やがて洋上に、黒々とした島影。近づいて見ると、土砂崩れが建物や道路を押し流している。揺れる機内から撮影し、夕刊の締め切り間際に奄美空港に着陸。写真電送と原稿の吹き込みに追われ、気付けば再び離陸していた。滞在時間、1時間。

今回の旅で、奄美=雨、という印象をますます強くした。観光パンフレットには、陽光輝くコバルトブルーの海。どこかよそで撮ったに違いない。

2015年7月5日

取らぬ狸の・・・


 何やら見覚えのある、給与明細のような書類が前の会社から届いた。

 給料日の来ない生活になって、すでに半年がたつ。

 何かの手違いで給料がもらえるのか。期待して開けてみると、もっとすごかった。

賞与明細だ。

 会社を辞める時、誰もが「次のボーナスをもらってから」と考える。私も抜かりなく計算し、ボーナスを手にしてから退職した。まさかもう1回、もらえるとは。

実をいえば、この日が来るのを少しだけ予感していた。以前、転職した会社の先輩に「最後に働いた2か月分のボーナスが、忘れた頃に振り込まれた」と聞いていたからだ。

半信半疑でいた。本当だった。私にも、きっちり最後2か月分のボーナスがもらえる。退職のタイミングなど、まったく計算する必要なかった訳だ。

しかもその2か月、私は有給休暇で西表島に遊んだりして、全く会社に行っていない。本当にすばらしい会社だ。いまごろ気がついた。

ちなみに、先に転職したその先輩、「今の会社のボーナス半年分が、前職のボーナス2か月分より少なかった」と、ショックを受けていた。

キャリアを変える決断をして、人が新たな高みを目指すとき、一時的に収入が減るぐらい覚悟しなければいけない。

私など、減ったどころかゼロに近い。

なに、今は雌伏の時。そのうち私も、毎冬のタイ往復をビジネスクラスで行けるぐらい、お金持ちになってしまう予定だ。

問題は、この雌伏の時がいつまで続くかだ。3か月で終わるか、30年続くか、私にもわからない。そもそも、今が雌伏の時、という自覚が足りない。このボーナス、貯蓄してもすぐなくなるだろうし、自身の自己啓発に使うのは、もっとリスクが大きい。

それより人口統計に賭けた方が、はるかに確度が高そうだ。ジャック・アタリによると、2050年にはインド人が中国人を追い越し、ナイジェリア人がアメリカ人より多くなるという。人口増加とGDPの増加にはおおむね正の相関があるので、ボーナスはインド株やナイジェリア株に投入すべきだろう。

儲かるまで長生きするという、大目標もできる。

ギリシャ危機で世界市場が乱高下している。今が仕込み時だ。我ながら名案だ。

ところが。

夢のボーナス支給日と前後して、市役所から一通の封書が届いた。中には、住民税1年分の請求書。その額、ボーナス、プラス30万円。納付期限が迫る。

降って湧いた臨時収入は、右から左へ、3日で消えた。

人生、甘くない。

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...